arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー885日目と豆麹作り

2024/2/14水曜日

6時に起床。

まずは豆麹をチェック。

品温は36度。

庫内の結露を拭いてから、再び発酵機内へ。

ベランダで洗濯と水やりを済ませたら、最新情報をチェック。

やることやったら畑へ。

先日雪が降って以来訪れると、野菜達は雪にも負けずに成長していた。

 

まずは、持参したレタスの苗を植えて軽く水やり。

次に、雑草取り。

雑草魂とは良く言ったものでそこら中で繁殖していた。

最後に蕾が出来ていた青梗菜とカブを収穫してから畑を後に。

スーパーで買い物してから帰宅。

 

まずは、豆麹の「盛り」の作業。

その前に品温チェック。

 

41.1度をヒット。

まず、熱を冷ましがてらパイレン布の上でくっついている豆達をバラバラに。

次に2つの麹蓋に分け入れ、発酵機内へ。

やることやったら、食事の用意。

 

おかずは買ってきたお惣菜メインに納豆と漬物。

夫にはラーメンを用意した。

 

午後は読書。

昨日から江川太郎左衛門英龍に関する本を読んでいる。

鎌倉時代から続く伊豆韮山代官の家に生まれ、領地は海に面している。

なので近海に外国船が度々出現。

恐らく、その大きさと軍備に驚き、早くから危機感を持っていた、と思われる。

下田にイギリス船マリナー号が無断入港した際は退帆交渉もしている。

代官なのでおいそれと行動出来ない。

長崎の砲術家高島秋帆の元へは部下3名を遣わし砲術等を学ばせた。

更に、「尚歯会」にも参加。

ここで渡辺崋山や高野多英川路聖謨らと交わっている。

そして、外国の諸事情について知った物と思われる。

1832年江戸湾測量を巡り、鳥居耀蔵に目を付けられ逆恨みで蛮社の獄でも取り調べを受けた。

これを乗り越えた坦庵は江戸と韮山に塾を開講。

高島秋帆やジョン万次郎等が講師として招かれ門人は四千人を超えた。

門人には佐久間象山、本多忠徳、川路聖謨橋本左内桂小五郎黒田清隆大山巌、伊東祐亨、山尾庸三らも居た。

高島秋帆鳥居耀蔵の策略により10年間も刑罰に服していたが晴れて許され、韮山を訪れた際、弟子の坦庵達が洋式銃を担ぎ颯爽と行進する隊列を見て感涙したそうだ。

ちなみに、行進する際の「回れ右」や「右向け右」などの号令語は言い易いように坦庵が考案したんだそう。

そうだったんか!

 

17時から夕食作り。

ブリあらとカブと椎茸のもろみ煮、鯖と鶏むね肉のもろみ漬け焼き、サーモンのお刺し身、トマトとモッツァレラのもろみ和え、サラダ、大根のもろみ漬け。

これにいつものウォッカ梅酒ロックと玄米ご飯。

良く呑み良く食べた。

後片付けを済ませたら読書の続きをすることに。

 

歩数計は6172。

充実した一日だった