2026/10/17土曜日
3時過ぎに覚醒し、読書と調べ物。
昨日に引き続き、大岡昇平著『レイテ戦記』
福栄中将以下約100名の司令部はその後準備に手間取り、1/5夜、10隻のバンカーに乗ってバリティを出航。
但し、丸木舟の搭載能力に誤算があり福栄中将、和田参謀長の乗った大型バンカーだけ辛うじてボゴ(パロンポン対岸)に辿り着いた。
が、上陸地点でゲリラに銃撃され、福栄中将、和田参謀長共に負傷という惨憺たる結束に終わっている。
護衛の百六十九大隊長西村茂中佐も戦死。
これらは皆後になってわかった事だが、この護衛兵力を連れて行った事が統帥違反となった。
出発したのかしないのか、何の連絡も無いので、友近少将がリバティまで行ってみると、海岸の塩焼小屋で金子参謀がつくねんとしている。
参謀の乗った舟は岸を出てすぐ沈んだ。
泳いて帰り、新しくバンカーを都合して再航を図っていると言う。
福栄師団長の乗った舟は大型。
水平線上に没するのを見たから多分セブに着いただろう。
金子参謀の口から護衛として西村大隊長、2人の中隊長と共に兵若干を連れて行った事が明らかに。
友近少将の復命を聞いて、鈴木軍司令官は激怒。
命令は師団司令部の渡航を許しているだけである。
兵力を濫りに動かすのは越権且つ重大な軍律違反。
そもそも福栄中将の行動が違反。
事を荒立てない為恰好をつけてやったのに、勝手に護衛を連れて行くとは何事か!と激怒。
↑福栄中将て、ウィキにも何処にも出て来ない。
画像は発見したが。
鈴木中将を怒らせる為の工作員じゃね?
が、その後、BC級戦犯の本で発見。
戦犯として処刑されている。
1/7, 鈴木中将は大本営と方面軍に経過を報告。
福栄中将の「親補職を免じ、中央部に於いて捜査処分せられ度」と上申。
この頃、カンギポットには感度の悪い手廻し発電の3号無繊機しか無かった。
電報はセブ経由で送られた。
しかし、この時は米輸送船がリンガエン湾沖に到着。
方面軍は戦闘に入っていた。
人事に構っている暇は無かった。
返事は無く何の手続も取られなかった。
鈴木軍司令官は福栄中将から百二師団の指揮権を取り上げ、和田参謀長と共にセブ市に於いて待命を命じた。
しかし、大本営からいつまで経っても返事が来ない。
放って置く訳に行かないので陸軍刑法に触れないよう罰目を定め福栄中将、和田参謀長を遡って重謹慎30日に処し、師団の指揮権を復活せしめた。
3/24, 友近少将がセブに帰着した際、言い渡した。
2日後の3/27, 鈴木軍司令官もセブに帰着。
福栄中将を面責。
中将も陳謝の意を表明。
一応蹴りは着いた。
が、「何だか両者共釈然たるものが無かった様である」
と友近少将は付け加える。
事件は師団長の事実上の戦線離脱。
レイテ島で起きた最大の不祥事。
惨憺たる敗戦にも拘らず軍司令官と兵団長の間でインパールのような決裂が起こっていないのは鈴木軍司令官の俊敏さはなくても、穏健な統帥の結果と言える。
↑牟田口「 」
福栄中将は聯隊長時代、中支の台児荘で似たような事件を起こした(この場合は所命の位置に進出しなかった)
この種の行為の常習犯。
事件の噂はカンギポット周辺から脊梁山脈の中まで広まりレイテ島上の兵士の士気に影響があった。
鈴木軍司令官自身が脱出したと誤り伝えられて、多くの遊兵に戦線離脱を正当化する口実を与えた。
脱出したのは師団司令部だけで、隷下諸隊はレイテ島に残された。
第二次転進部隊(丸山正寅参謀指導の第百七十一大隊=田辺大隊、四十一連隊)は1/5まで。
カンギポットに着かなかった。
四十一連隊は「抜」に欺されたと言っている。
福栄中将は戦争初期シンガポールで起こった俘虜虐殺事件の責任を負い戦後B級戦犯として銃殺されている。
中将の為に弁ずれば、次の2つの点が挙げられる。
一つはその管区の一般状勢に関するもの。
パナイ、ネグロス、セブ島はレイテ島のような農業島では無く早くから開発されていた。
セブ島は早くスペイン人の植民が進んでおりセブ市はフィリピンの謂わば京都。
鉱業、製糖業が盛ん。
パナイ島はルソン、ミンダナオに次ぎフィリピン群島3番目の大島。
その首都イロイロは人口9万、マニラ、セブに次ぎ繁栄した島である。
ネグロス島西北部は殊に製糖が盛ん。
昭和19年末で尚多量の砂糖のストックがあった。
その砂糖から製するアルコールは日本本土の物動計画に繰入れられた。
百二師団の任務にはこれら物資の確保が含まれていた。
またパナイ島には有力なゲリラ根拠地があり、ピサヤ地区ゲリラの中心でペラルタに指導された蜂起があった。
11月末、各所で通信線切断、親日フィリピン人に対するテロが起こった。
12/19にネグロス島バコロド水源地が攻撃され飛行場の一部が占領された。
福栄中将のレイテ進出が遅れたのはこれら匪情が作用。
レイテ作戦に従事する一方、これらの事件について留守部隊からの報告を受け、無電で命令を発令していたと言われる。
無論、命惜しさが先であるが、レイテ戦は山が見えた。
ここで軍司令部と心中するより早く警備地に戻りパナイ、ネグロスの資源地帯を確保するのが結局三十五軍の為になる、と言う判断は一応条が通っている。
12/20、リボンガオから帰着した金子参謀は、司令部がイロイロ、バコロドの留守部隊と無電で連絡。
大発と機帆船を12/28, 29日にビリヤバに送るよう手配しているのを見た(セブの船舶司令部は軍の指揮下。自由になるイロイロ、バコロドに連絡した)
金子参謀はまた付近に軍の杉本参謀、加登川参謀が居たのを記憶。
杉本参謀は転進中百二師団と合流したと信じられていた。
が、ピナ山から一緒だった。
リボンガオ三叉路付近に軍の貨物廠があり、後方参謀であった中佐は司令部が米軍に急襲された時、そこに出張中。
行方不明と考えられていたが、そのまま軍輜重隊と共に東方山中の百二師団の陣地へ退避。
杉本参謀は後に軍司令部に帰って、福栄中将独断渡航計画をうすうす感づいていた、と言っている。
が、ピナ山からずっと一緒だったとすれば、計画を熟知し了解を与えていたのではないか、と友近少将は疑っている。
3/25, 友近参謀長(この頃は和知参謀長がルソンへ帰還。参謀長に復していた)
が福栄中将、和田参謀長に会い罰目を言い渡した後、懇談した時の2人の話に拠ると杉本参謀には師団長の意図は明白に話してあったと言う。
同参謀も賛成。
自分も一緒にセブへ連れて行ってくれと頼んだくらいだった、と。
杉本参謀が軍司令部に帰る時、次の諸点を口頭で伝えてくれと頼んだと言う。
今日はここまで。
4時に起床しパソコン作業。
メールのチェックをし、返信後、5時過ぎに畑へ。
希望の星のへちま✨
葉っぱが星みたいやん!

いつものように液肥を施肥したら、5時40分に帰路に。
帰宅後、再びのパソコン作業。
6時半から朝の家事。
昼食の豚骨ラーメの下ごしらえ。

まだ麺類が苦手な末の孫用に炊飯の予約と納豆の用意もした。
9時に孫達が来訪。

暫し、癒しの時を過ごした。
孫達が公園へ遊びに行ってから、再び、シナリオのチェック。
先週のリハーサルでの反省点を踏まえ、既に修正済だが、更に修正点を発見。
関係各所に変更の調整をメールで依頼。
12時に御一行が帰宅。
急いで、とんこつラーメンの仕上げ。
野菜たっぷりの豚骨ラーメンは大好評。
孫達のお替りも続出。
420gの中華麺は目出度く完売した。
自分は納豆ご飯と昨日の煮物メインでお腹を満たした。
午後も13時半から、関係各所にメールの一斉送信。
防災訓練を何とかスムーズに進行させる為に必死ですわ。
16時半から夕食の用意。

イカとメカジキ、鶏むねの西京味噌󠄀漬け、キャベツのゆで卵サラダ、大根おろし、残り物の味噌汁と煮物、ウォッカ梅酒ロック。
目玉はサラダに降り掛かった炒り胡麻。
自家製の胡麻はマジで美味しい♥
わいが良く視聴する農業動画のひろちゃんも言ってた。
おつまみは色々あったが、調理しながら、食べて呑んで、無い。
ウォッカ梅酒も半減。
キッチンドリンカーの何が悪いねん!!
酔わないからええねん!
ブログもちゃんと編集出来てるからええの。
今から明日の防災訓練の準備するんやで。
歩数計は4205。
充実した1日だった。













