2026/11/4水曜日
4時に覚醒し読書と調べ物。
昨日に引き続き、大岡昇平著『レイテ戦記』
この他負傷、失神、睡眠の状態で俘虜となった者はこの頃までに陸軍だけで500人。
ゲリラは殴ったり蹴ったりするだけで殺さず、米軍に渡している。
報奨金が出た為である。
が、パナイ、ボホールなどビサヤ諸島、ミンダナオ島の辺境地区など、米軍陣地から遠く離れた地区では殺された。
タナウアンの俘虜収容所の陸海軍将兵、台湾人軍夫は約800人に増加。
この他、タクロバンの赤禿山の麓に俘虜専用の野戦病院があり、約200の傷病兵が収容。
ベッドは不足していたので一度に大量の俘虜が出ると直接タナウアンの収容所に送られた。
ここには所付米軍軍医1人、衛生兵1人がいて日本の衛生兵俘虜が助手として軽病患者の看護治療にあたった。
しかし、病み疲れた新しい俘虜は入所手続き(写真撮影、訊問)の為柵外の休息所にいる間に死んでいった。
コーンビーフ、煮豆など食糧を不意に貪り食う為であった。
日本人の収容所長が手続きが済むまで食糧を与えない方針を決めると炊事へ盗みに入った。
食べ、それから死んだ。
脊梁山脈北部に圧迫された十六師団、二十六師団の敗兵が、飢えと疲れで斃死しつつあった間にカンギポット山の軍司令部周辺に集結した第一師団の残部、六十八旅団、百二師団、今掘支隊は、米七七師団の攻撃を受けていた。
第一師団転身後は詳しい記録は残っていない。
数少ない生還者の1人、鈴木軍司令官の専属副官錦野得定中尉の記憶に拠れば、一時カンギポット山周辺の山稜は悉く敵影で埋まる程接近包囲された事があったという。
諸隊の奮戦により辛うじて撃退。
米公刊戦史も昭和20年1月、掃討線に入ってからは詳細を記していない。
が、第二四軍団の南部レイテ掃討は2/15で終了。
この頃の戦闘とみなして良いであろう。
第一騎兵師団、二四師団の一部、第三二師団に1/24に到着したアメリカル師団(ガダルカナル島の戦いの時点で編成された混成師団)が加わった。
米第一◯軍団の北部レイテ討伐は主としてサマール島を対象。
その北端サン・ベルナルディノ海峡を確保した2/24をもって終了。
この作戦はこの島に配置されていた十六師団第九連隊第二大隊に損害と俘虜が出ただけでレイテ島の戦いとは余り関係ない。
南部レイテの掃討は2/23再開。
5/8に完了。
これは第八軍地区司令部 Area command の統一作戦と称される。
詳細は未詳。
これは第八軍の中に新設された一種の方面軍らしい。
第八軍は2/28のパラワン島上陸を皮切りにミンダナオ、パナイ、ネグロス、セブに機動掃討作戦を開始。
このうちミンダナオを除いたビサヤ諸島を「地区司令部」が担当。
レイテ島西部ではアメリカル師団が七七師団と交替。
2/2, 司令部の一部をバレンシアに前進させた。
この師団が3/26, セブに移動した後の、掃討の最終段階はゲリラに任せられたらしい。
フィリピン第一師団の名が記録に現れ5/8までに、戦死14, 負傷38の損害を出している。
これは恐らくカングレオンのゲリラ第九二師団の改称で九四、九五、九六連隊の三個連隊編成である。
ゲリラ一個連隊の兵力は500位。
約1,500名の師団である。
1月-2月のカンギポットの状況は現地よりもこの頃のタボゴン(パロンポン対岸)にあった第一師団によって記録されている。
「須山日誌」に1/26よりレイテ島方向に砲撃頻り、とある。
砲撃煙も目視された、と土居参謀は言う。
2/1, 砲声は著しく鎮まった。
が、1/27, 金田集成大隊(百二師団基幹)防禦正面(東南)突破さる、と報告された。
2/6, タボゴンーセブ市ーレイテ間の通信状況は極めて不良に。
レイテ通信所より状況悪化、暗号書を焼却しても可なりや、と事務信をもって問い合わせて来た。
2/12, セブ市の軍留守部隊から、2/4, バンカー(丸木舟)3により、2/8バンカー2により中尉(姓名不明)一行がレイテ島を出た。
が、未着につき捜査願度と依頼電報があった。
これは1/20の地号作戦第4時輸送以来、初めてのカンギポットよりの脱出。
しかし、その後関連記事無く結果は不明。
今日はここまで。
5時過ぎに起床し畑へ。
すっかり寒くなったがヘチマは踏ん張っていた。

いつものように液肥を施肥したら6時過ぎに帰路に。
帰宅後、朝の家事。

今日から味噌作りに向けて米麹作り。
昨夜から水に浸けていた米をざるに引き上げ。
続いて、麻炭きな粉全粒粉クッキー作り。
麻炭は普段炊飯器に投入しお米と一緒に炊いている。
が、スティック状で細いのですぐ折れる。
かけら状になった麻炭はパウダーにしてクッキー作りに使用。
お値段高いので最後まで使い切る。
11時から米麹作り。
まずは米を蒸す作業。

水分が多い新米で蒸すと柔らかく仕上がる。
こりゃまた糖化麹になっちゃうか?
そしたら、西京味噌を作るまで。
昨年作った味噌が残り少なくなってきたので、2週間で完成する西京味噌風の味噌はありがたい。
来月は自主防災組織の仕事が結構忙しい。
出来れば今月中に味噌作りを終えたいところ。
米麹作りは水分少なめの古米に限る。
種麹菌をまぶし、パイレン布と晒布で包んだら発酵機へイン。
まずは、33度設定で様子見。
明日の朝の品温で温度設定を調整する事に。
12時に昨夜以来の食事。
納豆ご飯と味噌汁、昨日の鮭カマでお腹を満たした。
昨日は19時に夕食を食べようと準備していたら、吞み会に行った筈の夫が激怒して帰宅。
訳を聞くと、色々思い出したのか、更に激怒。
もう、夕食どころで無くなった。
怒りが収まらない様子だったので、自分は自室に退避。
まったく迷惑な話だよ。
参加者を怒らせるとか。
おかげで夕食を食いっぱぐれた。
当の本人は朝もまだ激怒。
が、11時に区役所へ障害者手帳の申請に向かい、まだ帰宅せず。
自分は昨日の昼を最後に食べていないのでお腹ペコペコ。
12時から一人で食事。
夫は12時半に帰宅。
障害者手帳申請に必要な書類は全て揃っているので、即日交付かと思いきや、2ヵ月掛かると言われたそう。
いやいや、必要書類のマイナンバーは幾ら見返した所で数字の羅列。
年金証書は社会保険庁が認定し発行したもの。
何度審議しても、次の更新時期まで、覆らんよ。
2ヵ月間何するん?
もしかして、日本語に不自由な方達?
今から提出書類を翻訳するんか?
税金で飯を食う公務員は日本語に堪能な日本人を雇って欲しいものだ。
夫は帰宅途中から頭痛が酷くなり昼食を食べず、保冷剤で頭を冷やしながら、臥せった。
午後は自主防災組織の仕事。
防災訓練のアンケートの集計を行った。
現時点で約100世帯から寄せられ、質問が15問もあると、集計も一苦労。
何でも屋の隊長は部下が居ない。
締切は明日だが、その前に来た分を集計しといて良かった。
次年度以降はやり方を変えるよう申し送りする事に。
15時半から夕食作り。

ローストポーク、キャベツの千切り、昨日の鮭カマ、昼の目玉焼き、炒り落花生、ウォッカ梅酒ロック。
これに玄米ご飯と味噌汁をプラス。
19時に食べる事に。
歩数計は4944。
充実した一日だった。

















