2024/4/19金曜日
6時に起床し洗濯と朝食、昼食作り。
ベランダでの水やりも済ませたら9時に夫と買い物へ。
ホームセンターで肥料や苦土石灰を購入した。
夫を家に降ろしたら自分はスーパーへ。
11時半に帰宅後、食材を収納。
終わったら食事の用意。
12時に昨夜以来の食事。
米麹作りも同時進行。
食べている間にお米を蒸した。
12時40分に蒸しが終了。
ついでに一昨日種切りした米麹を出麹。
ちょっと麹菌ちゃんの繁殖が少ない気がする。
けれど、米麹として普通に使えるのでよしとする。
午後は読書。
もう一冊西郷隆盛本を借りていたのを思い出し、昨夜から読んでいる。
めっちゃ面白い。
流石太田龍先生。
明治維新とは何だったのかわかっておられる。
自分はこの本を読んで「明治六年の政変」とは何だったのかわかった。
以下、明治六年の政変に至る経緯を本から抜粋。
【①島津斉彬は日本は支那や朝鮮と結んで欧米露強国の横暴に対処すべし、とした。②斉彬は急死したが西郷はこの路線を継承せんとした。③明治六年西郷を朝鮮に派遣する事を閣議で決定。④西郷は黒田清綱に朝鮮で武力無しに外交してくると話す。⑤清綱は西郷は卑怯な策略はやらん、必ず談判をしとげて帰る成算があった、と伝える。⑥岩倉大久保木戸伊藤が西郷の朝鮮行きを反対。明治天皇はこれを裁可。⑦明治六年10月24日西郷板垣後藤副島江藤が辞職、下野。⑧日本は明治六年の政変を機に西洋帝国の奴隷となり手下となってアジアを略奪する強盗国家へと化していく。最低。⑨この路線に明治天皇は同調。】
この本によると、西郷は西洋の邪悪さを見抜き、西洋に取り込まれてしまった大久保と訣別。
大久保や岩倉らが2年間ヨーロッパ視察旅行に行っている間、朝鮮と対話し手を組もうとした。
↑上の①でも言っているが、西郷は西洋に対抗する為に支那や朝鮮と組もうとしていた。
が、それをやっちまうと、フリーメイソンに消される運命になるのは周知の事実。
日本の首相や政治家でも何人もヤられている。
案の定、西郷は主張していない「征韓論」をでっち上げられ、西南戦争を戦う事に。
この時、西郷に従った者達には同じように西洋の邪悪さを見抜いた人達が数多くいた。
西郷が斃れた事で明治政府の中で日本人の為の政策を行う人は皆無に。
バックで操るフリーメイソンの思惑通り、日本は戦争に参加しまくる奴隷と化した。
明治六年の政変が日本が本格的に植民地になる転換点だったようだ。
こうなると、江戸薩摩藩邸焼き打ち事件の真相も気になってきた。
夕食後、読むことに。
17時半から夕食作り。
葉タマネギピザ、鱈のムニエル、油淋鶏、カニカマサラダ、蓬黒豆ケーキ、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
長男がお皿を洗ってくれたので、ありがたく読書の続き。
西郷隆盛本を読了。
フリーメイソンに利用されてしまったが。
次は薩摩藩邸浪士隊本を読むことに。
歩数計は7027。
充実した一日だった。