arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1201日目とパラケルスス③

2024/12/26木曜日

5時に起床し長女の朝食とお弁当のおかず、ヤロー共の昼食作り。

合間に小粒大豆を蒸してヨーグルトメーカーに納豆を仕込んだ。

洗濯とベランダガーデニングの水やりを済ませたら8時に長女を駅まで送迎。

自宅駐車場に車を停めたらそのまま自転車で畑へ。

まずは、少しだけ寒起こし。

これで一気に体が温まった。

次に水やりをしながらアオムシチェック。

すると、ビニールトンネルの白菜の中にうじゃうじゃ居た。

蝶々を見かけなくなって久しいけど、卵てそんなにもつんか?

調べたら3~5日間、とあった。

二週間前には蝶々を見かけないけど、このアオムシ達は何処から来たんだ?

やはり、悪魔くん(クソ悪魔)の仕業か?

これからも、観察続けるけどね。

9時45分に買い物へ。

10時半に帰宅後、食材を収納している間に11時に。

今日は米麹を作る。

圧力鍋にお米をセットしたら発酵機や種麹の用意。

12時に種麹をまぶし終えたら、昨夜以来の食事の用意。

心置きなく納豆を食べた。

午後は読書。

 

昨日に引き続きカイザー著小原正明訳「パラケルススの生涯」

 

当時パリの医学部は中世の思惟方法や教育方法の牙城。

ホーエンハイム(パラケルスス)の薬剤と治療法はパリのドクトルにとって新奇。

気に入られ無かった為、パリ滞在は辛い物に。

パラケルススの薬剤と治療法を適用することを禁止にしたり、適用した者はドクトルの学位を取り消すと脅した。
ホーエンハイムは1518年にフランスを去りイギリスへ。

ロンドンを訪れブリテン島を遍歴。

その後ネーデルランドを訪れ1519年の戦闘へ軍医として従軍。

一年後にはデンマーク国王クリスティアンの軍に加わりスウェーデンに対する戦役に赴いた。

次は東ヨーロッパへ。
スウェーデンの金属鉱山に滞在後、ブランデンブルグダンチヒプロイセン、ヴィルナ、ポーランドリトアニアジーベンビュルゲンハンガリークロアチアを巡った。

この遍歴の中で地方の係争に関わった事も度々。
1524年、故郷のケルンテンに戻り開業しようとしたが適切な土地が無かった為、ザルツブルクへ。

そして、そこで「個々の疾病の起源、原因、徴候及び治療に関する11の論文」を纏めた。

それは病理学的に、療法学的に基礎づけられたものであり、主として代謝病や筋肉の拘縮や神経症や精神病を扱っている。
更に著作の「ヴォルーメン・パラミルム」を書き上げた。
病因には五つの「実体(エンティア)」があるとし、病気に罹っている人間はエンティアの影響下にある。

人間に宿っている「アルケウス」と名付けた力動的な生命原理が主役を演ずる。

アルケウスが正しく働くと人間は健康。

異常な働きは病気の原因になる。
五つのエンティア
自然派 自然の力を借り自然法則にしたがってのみ治癒ーこの派にはアヴィナンケ、ガレノス、ラーゼスが属した。
②特殊派  特殊的実体によって病気を治癒。
特殊的実体によってあらゆる病気を治癒する。

例えば磁石は鉄を引き付けるがこれは磁石の性質が自然の調和から生ずるのではなく特殊性からしている。

医師は特殊な治療法を用いてあらゆる病気を治す。
③性格派  性格、言葉を通じて癒す。

アルベルトゥス・マグヌス占星術師やその他多数であった。
④心霊派 野草や木根の精に命じて病人を病気という牢獄より解放してやるように仕向ける。

ヒッポクラテスを始めとして大勢。
⑤敬虔派 病気を信仰によって癒す。


1,体質上の病気
2,あらゆる種類の中毒や伝染病
3,気候や星辰の影響
4,精神的要因による病気
5,病気の経過全体において神の摂理が支配しているもの
パラケルススは叛乱の農民に共感を示した事によりザルツブルクを去らねばならなかった。

ドナウ川を遡りライン川上流へと向かった。

そして、バーデンの辺境伯のフィリップ一世を治療。

この君候は赤痢様の腸の炎症に罹っていた。

その後は幾つかの温泉湯に滞留。

温泉の薬効について詳細に報告している。
1526年にシュトラスブルグに現れた。ホーエンハイムは33歳半ばにして10年間に及んだ遍歴を終了。

やっと開業する事に。

同業組合「ツア・ルツェルネ」に加入。

そこには穀物商人や製粉業者や他の2、3の商人階級と並んで卑賤の外科医も属していた。
外科医の身分は大学教育を受けた人達だけでなく単なる手仕事として傷の処置を行い病人を癒している職人から成り立っていた。

数の上では後者の方が多かった。

鍛冶屋や浴場主、理髪師や刑吏でさえも外科医の仕事を頻繁に試み効果を収めていた。

1527年、ホーエンハイムシュトラスブルクで有名なバーゼルの出版業者のヨハネス・フローベンから手紙を受け取った。

彼は痛みを伴う脚の病気に罹っていた。

医師達は脚の切断を勧めた。

が、フローベンはホーエンハイムを頼った。

彼はフローベンを診察。

特別な薬を処方。

効果は驚く程良く劇的に回復。

フローベンは出張出来る位に回復した。

ホーエンハイムロッテルダムエラスムスから手紙が。

エラスムスはフローベンと同居していたのでフローベンが快方に向かう様子を近くで見聞きした。

エラスムスは長らく病弱だった為、ホーエンハイムに診察を依頼。

ホーエンハイムは有害な大理石のような鉱物が貴兄の腎臓に沈殿していると考えています、と説明した。
彼はその鉱物を「タルタルス」と名付けた。

ホーエンハイムは、人体では摂取された栄養物質は変化を受けて再び排泄物として排泄されるだけでなく、これと並んで栄養摂取からの残りかすも人体の中には留まるということの根本的な認識が窺われる。

これはホーエンハイムの最も重要な業績の一つであった。

バーゼルの市医になったホーエンハイムバーゼルの大学の医学部で講義を受け持ち大人気に。

本来ラテン語で講義するところを母国語のドイツ語で講義したところ、他の教授陣から非難された。

が、ホーエンハイムの目的は医学を学んでいる者にも開業している門外漢にも理解出来るよう平易なドイツ語で医術に関して自分の考えを伝えることだった。
「権威を引き合いに出す代わりに自分自身で経験し吟味しよく考えること」が彼の主張だった。←素晴らしい考えやん!

今日はここまで。

めっちゃ素晴らしい医者というか科学者やん。

温泉の効能について誰に報告したのかは気になる。

てか、これだけ何年間も旅行しているけれど、スポンサーは誰なんだろうね。

旅の先々で診察し治療行為しているけれどそれらの報酬だけでこんな大旅行できるものなんだろうか。

このあと読み進める事に。

 

15時半にホームベーカリーにパン生地の材料をセット。

17時45分から夕食作り。

焼きたてパン(あんこ、くるみ、チーズ)、ポテトグラタン、鱈とセロリのコンソメスーフ、昼の残りの味噌ハンバーグと白菜ともやしの酢味噌ピーナッツ和え、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

食後、長男宅へパン等を差し入れ。

お孫ちゃん達は既に寝んねした後だった。

帰宅後、入浴しお皿を洗ったら営業終了。読書と調べ物の続きをする事に。

 

歩数計は9147。

充実した一日だった。