arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー795日目

2024/1/24水曜日

7時半に起床し洗濯。

やる事やったら朝から読書。

 

昨夜から川路聖謨箕作阮甫の2人を取り上げた本を読んでいる。

川路聖謨の本は何冊も読んでいる。

彼が箕作阮甫とどう関わったのかは興味深かった。

箕作阮甫津山藩藩医の三男として生まれるも幼い頃父が亡くなり苦学して医者に。

江戸に出た際、医術の傍ら蘭学を学びオランダ語を習得。

蘭学、特にオランダ医学に興味を持つメンバーで交わり、渡辺崋山らの尚歯会グループとは別に下町派と言われた。

川路とは外国に興味を持つ仲間として知り合ったと思われ、川路が長崎に来航したプチャーチンと交渉に向かう際、箕作阮甫随行員として指名している。

箕作阮甫はオランダ医学のみならず兵法や砲術にも知識があったそうだ。

長崎に到着するまでの旅の間も交渉の下準備として度々意見を求め、交渉が始まってからも意見を仰いでいる。

この本では、旅の様子も書かれている。

箕作阮甫は近江路に入ってから箕作山を感慨深く眺めた、とあった。

箕作家は元々、佐々木源氏から出た六角氏の一族でこの箕作山付近が本拠地なのだそう。

津山藩では代々医業を営んできたそうだ。

そうそう、川路と箕作の孫は揃ってイギリスへの留学生に選ばれている。

どちらも優秀な家系なのな。

長崎に到着してからは川路は交渉に、箕作は翻訳に日々奮闘。

日本を守る為にやり切った。

江戸に戻ってから川路は阿部正弘から蕃書調所の設立を命じられると教授に箕作阮甫を推した。

また、イギリス生まれのアメリカ人リギンスが当時のアメリカ情勢について書いた本「聯邦志略」を翻訳。

佐久間象山吉田松陰橋本左内等多くの知識人に愛読された。

幕末の本を読むと、こんなにも外国の事、海防、国防に興味を持ち日本の行く末を心配していた人々が居たのか、と驚く。

寛政異学の禁など、なかなか洋書を自由に入手出来ない中、人々はネットワークを作り本を借り合っている。

蛮社の獄で冤罪で罰せられた田原藩家老の渡辺崋山は藩主の後押しもあり洋書を次々と購入しては仲間に読ませていた。

川路も度々渡辺崋山の家へ赴き洋書を読ませて貰っている。

家康公が戦国時代に終止符を打ち、戦の無い世をもたらしてから250年。

幕末は武士達が迫り来る外国に対しサムライ魂を蘇らせザワザワし始めた時期だった。

 

9時半に図書館へ。

本を2冊返却し18冊借りた。

貸し出し期間2週間で30冊まで借りられる。

これで24冊借りた事に。

貸し出し予約されていなければ返却期限を1週間延長出来る。

それで何とかなっている。

 

帰宅後も11時半まで読書。

夫も図書館へ本を借りに行った。

12時に昨夜以来の食事。

午後も読書。

 

「徳川将軍烈伝」という本。

9代将軍徳川家重公の辺りから読んだ。

8代将軍吉宗公はなんてったって強い。

詐欺師が近づいても騙されないし絆されない。

次の家重公は病弱。

なので父の吉宗公は側近を優秀な人で固めた。

そして江戸城敷地内に御三卿の屋敷も建設。

サポート体制を作っておいた。

太平な世の中はそれで良かった。

家重公の後を継いだ家治公は優秀な側用人に政治を任せた。

が、家治公のたった一人の世子家基くんが18歳で亡き者とされた辺りからきな臭くなった。

次の家斉公は家基くんの祟りを恐れお寺に寄進し新たに若宮神社も創建。

盛大な五十回忌を催したそうな。

続きは夕食後読むことに。

 

17時から夕食作り。

小松菜とタコと生ハムのキッシュ、鶏むね肉のねぎ塩焼き、大根とタコの胡麻サラダ、昆布と根菜のコンソメスープ、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

後片付けを済ませたら、レモンケーキとクルミクッキー作り。

寒いのでスイーツの消費が早い。

作れる時にどんどん作る事に。

 

歩数計は4657。

充実した一日だった。