2024/1/18木曜日
4時45分に覚醒。
最新情報をさーっとチェックしたら起床。
洗濯と朝食作りを済ませたら、昨日から浸水させていた米麹用の゙米を水切り。
味噌作りは昨日終わったが、味醂を仕込む為に米麹が必要になった。
7時からは念願だった梅干しの黒焼きをスタート。
梅干しを土鍋に並べたら蓋をして弱火で加熱。
程なく穴から蒸気が。
これを塞ぐ為に小麦粉粘土を制作。
土鍋と蓋の隙間を小麦粉粘土で埋めた。
9時半から米麹の種切りの準備。
10時過ぎに蒸し上がったら種切り。
10時半に発酵器内へ。
やる事やったら買い物へ。
12時過ぎに帰宅すると夫は既に昼食を食べ出かけたあとだった。
次男の奨学金申請に必要な診断書を貰いに病院へ行く、とメッセージがあった。
12時半に昨夜以来の食事。
お腹が満たされたら最新情報のチェック。
すると、能登半島地震は米軍横須賀基地所属の第7艦隊がやった、との記事を発見。
但し裏は全く取れていない。
DSによる撹乱情報の可能性もある。
ただ、米軍が関わっているのは確実と思う。
日本の政策は日米合同委員会が決めているからね。
次に読書。
昨日に引き続き川路聖謨に関する本。
この聡明な幕吏と初めて交渉したプチャーチンは数日後、ロシア艦船に幕府側の4名の交渉人を招待。
当日までに船をピカピカに磨き上げ、ご馳走で歓待したそうだ。
川路聖謨もプチャーチンとの交渉で、プチャーチンの誠実で紳士的な態度に感銘。
交渉はスムーズに進み、プチャーチンは余り得た物は少なかったけれど好感触のまま長崎を去ったそうだ。
それに比べ、アメリカのペリーと来たら、幕府は外国船との交渉は長崎港に限る、と言うてるのに、他の国々は皆それを遵守している、というに、いきなり江戸に乗りつけて大砲をぶっ放すわけよ。
ロシアはニコライ一世がプチャーチンに「平和的に交渉するように」と指示している。
プチャーチンはそれを守り長崎港で江戸から川路等が到着するのを一ヶ月以上大人しく、大砲も発砲せず待っとるわけよ。
アメリカの大統領はペリーに何て指示を出したんだろうね。
一発ぶっ放して脅かせ、とでも?
ま、ペリーは日米和親条約(薪炭と水あげるよー)で満足して帰ったから良い。
次の問題児、ハリスも相当なものよ。
これには井上と岩瀬が交渉に当たった。
結果、不平等条約を締結。
これが、川路だったらどうなったか、とは思う。
タラレバになってしまうが。
実はこの本を読んで最も驚いたのは橋本左内の識見力について、だ。
彼は京都で活動していた際、若干24歳ながらイギリスの悪どさを見抜き、ロシアと組むべきだ、と主張していた。
そして、次期将軍に一橋慶喜公を、と薦めていた。
子供やん。
平時ならともかく、250年続いた鎖国を解くかどうかの有時。
わいも慶喜公の方が良いと思う。
公卿らを反一橋に仕立て上げた。
その間、江戸では慶喜公の父の斉昭公を超悪者に仕立て上げ、まず大奥の女性陣を反一橋に。
で、実母の本寿院しか信用しなくなっていた将軍家定も母親から洗脳され反一橋に。
大奥で洗脳工作していたのは誰なんでしょう?
洗脳された家定は後継ぎを慶福にするべく井伊直弼を大老に任命。
ここから、安政の大獄が始まった。
安政の大獄で日本の将来を想い行動していた次代のリーダー達は一掃された。
川路も岩瀬も謹慎や永蟄居。
橋本左内は死刑。
日本の頭脳は抹殺された。
日本侵略を狙っていた外国のDS達は大喜び。
ここから一気に開国、倒幕、明治天皇暗殺、DS傀儡明治政府樹立と相成った。
倒国され現在に至る。
尚、支配者はイギリスから始まり第二次世界大戦後はアメリカに変わる。
15時に梅干しの黒焼きをしていた土鍋の火を止め、16時半に中身を確認。
半分はまだ赤茶色だった。
取り敢えず黒くなった梅干しと赤茶色の梅干しを仕分け。
黒くなった梅干しは後日種を取り粉末にする事に。
赤茶色の梅干しは料理に使う事に。
早速、ブリあらと煮る事に。
ブリあらの梅干し汁、べったら漬風漬物、牡蠣と豚のピカタ、大根胡麻サラダ、玄米ご飯、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
後片付けを済ませたら、住民税支払い猶予申請の書類を仕上げる事に。
歩数計は7345。
充実した一日だった。