arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1199日目と畑とパラケルスス

2024/12/24火曜日

5時に起床し長女の朝食とお弁当のおかず、昼食作り。

8時過ぎに畑へ。

 

ずーっと雨が降っていなくて乾燥注意報が出ているので水やりする事に。

今日は納豆菌培養液をブレンドした。

そして、一応、アオムシチェック。

今日は一匹も居なかった。

ついでに少しだけ寒起こしも。

最後に大根の種まき。

発芽を促す為に不織布をべたがけ。

後日、ビニールトンネルも施す予定。

9時40分に帰宅後、荷物を置いたら買い物へ。

 

寒い日が続いているものの、電気代節約のためエアコン暖房を使わないで頑張っている。

が、ここは北国の知恵で、靴下と肌着で工夫しようと、スキー用の靴下みたいな厚手の靴下とズボン下(股引き)を購入する事に。

北国だと肌着を3段階位で用意する。

ズボン下ですら普通のと毛ばだったのとキルトのと。

暖かい煙突ストーブはリビングだけ、というのが多い。

それ以外の部屋は石油ストーブだったりしてそれほど暖かくない。

就寝前にストーブを消すとそよそよと風が吹く位に寒い。

子供の頃は丹前にくるまって寝たものだ。

あとは肌着で工夫。

 

お目当ての靴下と肌着を確保したら、家族にもあったか肌着や靴下を購入。

クリスマスプレゼントにする事に。

スーパーで買い物して帰宅すると11時。

収納したり肉を小分けにしたりしているうちに11時半に。

40分程読書。

 

パラケルススについての本。

まずはカイザー著小原正明訳「パラケルススの生涯」

パラケルスス は、父 ヴィルヘルムス・フォン・ホーヘンハイム博士、母 エルス・オクスナーの元で生まれた。

初名 はテオフラトゥス・ボムバストゥス・アウレオルス・フィリップス・フォン・ホーヘンハイム。

バンバスト(ボムバスト)・フォン・ホーヘンハイム家(貴族の家柄)シュヴァーベンの出身。
ホーヘンハイム家の本拠地 はシュトゥトガルト。
祖父テオフラストゥス・イェルク・ボムバスト・フォン・ホーヘンハイム は騎士団所属の騎士であり聖ヨハネ騎士修道会管区長であった。

この資格で領主に随従し聖地パレスチナへの冒険の旅に。
庶子のヴィルヘルムはチュービンゲン大学で医学を修めドクトルを得た。

1502年、一家はアインジーデルを去りケルンテン地方のフィラッハに。

スイス盟約者団とシュヴァーベン都市同盟の関係が悪化。

シュヴァーベン戦争が勃発。

フィラッハで市医の職を得、鉱山学校で教鞭を執った。

ドラウ渓谷の温和な気候は心地よかった。

父親は休暇の際はテオフラストゥスを連れ自然に入り土地に固有な植物相を指し示し薬効等を説明。

帰宅後、集めた薬草を乾燥させ粉末にし調合した。

父親は息子の質問に丁寧に答えた。→何て素晴らしいお父さん!

テオフラストゥスには他にもジークムンド・フューガー等の指導者に恵まれた。

彼らの多くはベネディクト派の聖パウル修道院のあるラヴァンド渓谷に住んでいた。

インスブルックの東方にシュヴァッツという都市がある。

ここにあるフッガー家所有の銀坑や胴坑でテオフラストゥスは経験を積んだ。

実験助手として多くの種類の煩雑な道具や器械の取り扱いを習得。

更に採鉱や選鉱の技術も。

その間、鉱夫達の多くが病に罹っている事に気付き鉱山病についての産業医学論文を書き上げた。

今日はここまで。

鉱夫達の間で流行った病気に関して論文を書いているのは素晴らしい。

あと、「フォン」て名前にある人は貴族なんだそう。

でも、テオフラストゥスも父親も貴族だけど諸国を遍歴してる。

言葉の壁、どうしてたんだろうね。

 

12時半から昨夜以来の食事。

豚キムチが大好評だった。

午後も読書。

15時にお孫ちゃん達が来訪。

嫁が体調不良との事で夫が預かってきた。

そして、夫は間もなくイビキをかいて昼寝をスタート。

自分が17時半までお相手した。

お孫ちゃん達が帰ったあと夕食の用意。

タコと鯖の刺身、サラダ、小松菜と人参のごま和え、鰯のつみれ汁、漬物、昼の残りの豚キムチウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

食後は長女が買ってきたケーキでデザート。

そして、クリスマスプレゼントを渡した。

長女は早速靴下を履いていた。

夫は初のズボン下に困惑。

明日から履いてみる、と言っていた。

後片付けを済ませたら営業終了。

読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は7531。

充実した一日だった。