2024/2/15木曜日
5時過ぎに起床。
洗濯と朝食、昼食作りを済ませたら9時。
市の納税課へ電話。
先月、住民税の支払い猶予申請書を提出した。
それに関連して昨日、保険証券や預金通帳のコピーを提出して欲しい、と夫に連絡が。
夫は個人情報満載なので妻と相談してから連絡します、と返答したそうだ。
で、自分が電話で詳細を聞いた。
まず、自分はいつ何に悪用されるかわからないので個人情報は知らせたくない、口座番号も必要なのか?と尋ねた。
すると、口座番号は必要無いけれど申請した日から最新の取引の部分と銀行名がわかる部分のコピーを、と言われた。
それも結構な個人情報だと思うのだが。
そこで、裏金問題で名前の上がっている議員は「不明」で通用しているが、何故自分も「不明」じゃ駄目なのか?
https://asagei.biz/excerpt/71036?all=1
あの人達と自分と何が違うのか?と問うと「私達(市)はあの政治家の税金を扱っていません。もし、扱っているのなら説明出来ますがあの政治家の件とあなたの件は全く別物なのです。もし提出されないのなら審査もしませんよ?」の一点張りだった。
所得税と住民税の違いを言っているのかもしれない。
けれど、根拠とする法律は一緒。
あの脱税している政治家達は「クレジット払い」や「不明」など適当に申告してもオッケーなのに一般民に対してはこんなにも厳しい対応。
納得できんわー。
9時半からは読書。
昨夜から川上操六に関する本を読んでいる。
この方、薩摩藩士の家に生まれるも城下では無く郊外で育った。
が、父親が教えている塾に藩主の斉彬公が訪れた際、その聡明さを見出され城下で学ぶ事となった。
特に、日清戦争では参謀として活躍。
スパイを派遣し情報を得た上で作戦を練った。
勿論、次の日露戦争に向けても情報網を巡らせ着々と準備は進められていた。
臥薪嘗胆10年を目標に対ロシア作戦の準備に奔走。
そして、病魔に冒され1899年5月11日午後6時10分に還らぬ人となった。
享年50歳。
彼の後を継ぎ参謀次長となったのは田村怡与造。
彼もまた1903年10月1日に48歳で死亡。
日露戦争開戦の僅か3ヶ月前だったそうだ。
まだ続きはあるがここでタイムアップ。
本日のミッションの豆麹作りをすることに。
まずは、発酵機内の豆麹を取り出し。
良い感じに緑色になっている。
発酵機が空いたので、次の豆麹作り。
蒸し上がった大豆をパイレン布に広げ、温度が下がるのを待っている間、玄麦を摺ったものと種麹をよーく混ぜ混ぜ。
品温が40度を切ったら種麹麦と大豆をよーく混ぜ混ぜ。
最後はパイレン布に包み、晒布に包んでから発酵機へ。
12時に昨夜以来の食事。
夫には焼きそばを用意。
喜んで食べていた。
午後は読書。
15時半から入浴。
17時から夕食作り。
同時進行で納豆作り。
鮭ハラスのもろみ漬け、ししゃも、大根と厚揚げの煮物、鶏むね肉の塩麹漬け、根菜サラダ、漬物(べったら漬けともろみ漬け)、カマンベールチーズ、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
後片付けを゙済ませたら醤油の仕込み。
今回は4リットル瓶に仕込んだ。
やることやったら、読書を楽しむことに。
歩数計は6313。
充実した一日だった。