arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー878日目と醤油絞り

2024/2/7水曜日

5時半に起床し洗濯と朝食作り。

いつもの朝の家事を済ませたら、まずは米麹作りの準備。

昨夜から浸水させていたお米をザルに上げた。

次に醤油を絞る作業。

 

醤油は昨年の3月に仕込んだもの。

 

 

ネットで絞り方を検索。

晒布で絞る事に。

予め60cmの長さで袋状に縫ったものを用意。

その中にどんどん入れていった。

ザルとボウルの間に丸いケーキ型を逆さまにして置いてある。

 

みるみる滴が落ちてきた。

明日までこの状態で放置する事に。

 

10時から読書。

昨日から平山洋著『「福沢諭吉」とは誰か 先祖考から社説真偽判定まで』を読み始めた。

彼の書いた「西洋事情」はベストセラーになり多くの志士に影響を与えた。

そのなかの一人に上田藩士の赤松小三郎も居る。

この両者は江戸幕府が幕末に条約批准交換の使節を゙アメリカに派遣する際に、咸臨丸への乗船を希望した、という共通点がある。

結果、福沢諭吉軍艦奉行木村芥舟の従者として乗船出来ることになったが赤松小三郎は落選した。

ここでタイムアップ。

11時からは米麹作り。

 

明日から暫くの間、醤油仕込みの日々が続く。

その前に在庫0の米麹をストックしておくことに。

 

良い感じで蒸し上がった。

種麹をまぶしてよーく混ぜ混ぜ。

かじかんでいた手がほっかほっかに。

パイレン布に包み、晒布で包んだら発酵機内へ。

引き続き、食事作り。

12時に昨夜以来の食事。

夫と次男には蕎麦を茹でた。

自分は納豆と味噌汁メインでお腹を満たした。

 

午後も読書。

前から気になっていた赤松小三郎本を読む事に。

数冊借りてある。

まずは安藤優一郎著「幕末の先覚者 赤松小三郎 議会政治を提唱した兵学者」

赤松小三郎は1831年、上田藩士芦田勘兵衛の次男として生まれた。

18歳の時、江戸に出府。

数学者内田五観に入門。

22歳で兵学者の幕臣、下曾根信敦に入門。

23歳で帰藩。

赤松家に養子入り。

24歳で再び江戸へ。

ここで運命の出逢いが。

幕臣勝海舟に入門。

勝の従者として長崎へ。

25歳の時、長崎海軍伝習所の員外聴講生として航海、造船、数学、砲術、船具、蒸気機関蘭語を受講。

第一期及び第二期でも学び3年間長崎に滞在した。

その後、帰藩するも学んだ知識を活かせずに居た。

が、1864年禁門の変後、長州藩追討の勅命により上田藩も従軍する事になり、小三郎の本領を発揮する機会が訪れた。

長州藩の降伏と共に出撃する間もなく解兵に。

1865年、第二次長州征伐に再び参加。

が、大阪で将軍家茂が亡くなった為に休戦に。

以降、小三郎は激動の時流が体感出来る京都に滞在。

兵学塾を開くと大にぎわいに。

評判を聞きつけた薩摩藩から調練指導の要請もあり、それに応じた。

ここまで読んだところでタイムアップ。

 

18時から夕食作り。

赤魚の粕漬け、牛蒡と蒟蒻の味噌炒め、エノキと紫蘇の味噌つくね、大根と牛蒡の塩麹煮物、べったら漬け風漬物、ハムサラダ、玄米ご飯、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

後片付けを済ませたら読書の゙続きをする事に。

 

歩数計は6768。

充実した一日だった。