2024/2/11土曜日
5時半に起床。
まずは豆麹の品温をチェック。
35℃台だった。
発酵機の庫内の結露を拭き豆麹を解したら再び庫内へ。
洗濯物を干したら、朝読書。
昨日に引き続き、高木勉著「八甲田山から還ってきた男」
明治31年(1898年)10月、福島泰蔵は弘前の第八師団歩兵第四旅団歩兵第三十一連隊に中隊長として赴任。
当時、日清戦争後に日本が割譲された旅順等を三国干渉により手放すと不凍港を確保したいロシアがこれを獲得。
日本国内は'臥薪嘗胆'の精神でロシアに対峙。
いつ戦争になってもおかしくない状況だった。
本州最北端の青森はロシアに対する守りの第一線と捉えられ青森市の歩兵第五連隊に加え弘前に歩兵第三十一連隊が新設された。
そして、まだ青森地方や弘前地方の軍用地図が作成されていなかった為、福島に白羽の矢が立った。
地図を゙作成する傍ら、隊員教育も実施。
初等教育がまだ普及していなかったので夜間、小学校クラスの塾を開講。
福島も教官として教えたそうだ。
また、福島は明治33年(1900年)には対露戦を想定し岩木山雪中踏破を計画。
明治34年(1901年)2月8日から二泊三日で実施された。
第一部隊は弘前(午前5時)→鰺ヶ沢泊→梵珠山→青森(午後7時)
96kmの積雪路上を25時間で行軍。
最終日は青森から大釈迦まで、汽車で移動。
そこから弘前までは行軍している。
一方、第二部隊は弘前(午前3時)→百沢→鰺ヶ沢(翌9日午前6時)一睡もせず22時間で44kmを踏破!
最終日は青森へ向かう予定が、往路で時間が掛かった為、復路は鰺ヶ沢から弘前へ行軍。
往路での大吹雪は困難を極め、松代村の人々に助けられたそうだ
また、同じ年の7月には5泊6日の夏期長途強行軍を実施。
今日はここまで。
11時に出麹。
良い感じに緑色に、出来上がった。
12時にテニスへ。
男子3名女子1名が参加。
15時まで楽しんだ。
帰宅後、第二回豆麹作り。
そして、入浴したら17時半から夕食作り。
博多もつ鍋。
めっちゃオイシかった。
食後も読書。
からの寝落ち。
23時45分に覚醒。
このあと、寝ることに。
歩数計は13375。
充実した一日だった。