arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー961日目とフットサル教室

2024/4/30火曜日

5時半に起床し朝食と昼食作り。

雨がパラパラと落ちてきたので洗濯とベランダの水やりはパスした。

 

9時半にフットサル教室へ。

コーチ1名男子2名女子4名が参加。

月末なのでゲームデイ。

ボールタッチとパス練習を済ませたら楽しいゲーム。

最初は3対3で楽しんでいた。

が、11時半に2名が早退。

2対2で5分のゲームを3本楽しんだ。

 

買い物をしてから帰宅。

13時半に昨夜以来の食事。

味噌汁と納豆とご飯でお腹を満たした。

 

午後は読書。

宇田川敬介著「庄内藩幕末秘話」を読み始めた。

ウィキによると、庄内藩1622年関ヶ原の戦いのあと改易となった最上氏のあとを受けて、譜代大名徳川四天王酒井忠勝が初代藩主として入った。

そして、三方領知替えの危機があったものの領民による反対運動で回避。

1868年の庄内戦争終戦まで240年以上に渡って酒井氏が治めてきた。

この著書で度々登場する酒井忠篤公は幕末動乱期の1863年に10歳で第11代藩主に就任。

その言行が凄い。

まずは新徴組の見廻組の隊士3名が馬に騎乗し指物を振り回し暴れている輩を斬り倒した際、幕閣から隊士3名の首を差し出せと言われた時の言葉。

「幕府からお役目を得て、そのお役目を庄内藩に預かりたる浪士に任せたのはこの私である。そして江戸市内で武士の心得も少なく馬を暴走させたる者、身分の如何を問わず成敗するのは幕府の命令ではないか。その幕府が命令通りに行った者を成敗するとなれば、それは幕府の威信が崩れ幕命を守る者が居なくなります。また、役目通りに行ってお咎めを受けるならば庄内藩は役目を全うすることができません。私に切腹を命じるか、あるいは江戸市中見廻り役を罷免くださるかいずれかにして頂きたい。酒井忠篤はこの時10歳。

江戸市中が沸いたそうだ。

次に感銘を受けたのは、鳥羽伏見のあと慶喜公が江戸に戻り上野の寛永寺で謹慎。

藩主以下新徴組共々庄内藩に帰る道中の言葉。

「本当に大切なことや信念は、のちの世の人がわかる。本当に人の道に従った行為をした人は、金や領地を、場合によっては命を失っても、それでも名誉と誠が残る。そうすれば私を礎にして、子々孫々と語り継がれる。それでいいじゃないか。」

忠篤17歳。

17歳にしてこんな事言う。

凄ないか。

そして、庄内藩に戻ってからの言葉。

 

酒井兵部「幕府は戦わずして滅びた」「我々は何故戦わなければならないのか」忠篤「人の道のためじゃ」「江戸の市中に騒乱を起こし汚い手を使い、それで天下を掌握することなど許しては人の道に反する。長州とて同じ。御所に銃口を向けた者がどのような奸計を使ったかはわからぬが、そのまま錦の御旗を手にするなど考えられぬことじゃ。そのようなことをしては人の道に反する。それはこの日の本の国が世界に認められなくなるということを意味する。我らはそれを食い止めなければならないのじゃ」「我らは幕府のために戦うのではない。人の道の正しさを示すために戦う。そのことを心に留めよ」

今日はここまで。

明日は「人の道のために戦う君主」を抱いた庄内藩の戦いっぷりについて読み進める。

 

16時から夕食作り。

赤魚の粕漬、とんかつ、焼き芋、ゆで卵サラダ、沢庵漬け風大根の漬物、昨日の残りのビーツのもろみ汁。

ウォッカ梅酒ロックと共に美味しく頂いた。

後片付けを済ませたら読書と調べ物の続きをすることに。

 

歩数計は13501。

充実した一日だった。