4時40分に起床し朝食作り。
程なく昨夜セットした中華麹が完成。
間髪入れず、甘麹をセット。
米麹の在庫をチェックすると残り100g。
先月1.2kg作ったばかり。
塩麹と甘麹はそれぞれ麹200gを使用する。
前者は魚や肉の下漬けに、後者は砂糖やみりんの代わりに使用するから特に消費が激しい。
ま、麹の材料の米はたーんとあるし今なら気温が高いので電気代も掛からないで作れる。
冷凍保存だと3ヶ月はもつ。
冬の味噌作りに向けて今のうちに作って置くことに。
6時に畑へ。
今日の作業は苗への水やりだけ。
6時半に帰宅後、シャワー&洗濯。
7時半から、読書。
最近は再び浅間山大噴火に関する本を読んでいる。
気になる情報もゲットした。
例えば、噴火前、浅間山近辺の山で硫黄を掘りに入った人が何人か居たそうだ。
更に、浅間山麓のナギ山や狗貧山、大笹村近くの五丈林等で多くの材木が伐採されたとか。
信仰の対象でもある浅間山を掘るとか木を伐るとか、とんでもないと麓の住民は反対したそうだ。
が、幕府は取り合ってくれなかったそうな。
幕府は幕府で鉱山や材木の売上から運上金が入るから美味しい。
時の将軍は吉宗公の孫の10代将軍家治。
が、将軍はすっかり骨抜きにされ政治は御側用人の田沼意次と息子の意知が取り仕切っていた。
その息子の意知のウィキペディアを追っていると興味深い一節が。
まず、この御仁、家来の佐野善左衛門に殿中で斬られている。
自分が読んでいる「浅間山大噴火」によると、被災地の゙上野国を見分した佐野善左衛門の報告に基づき被災地を救済したが、意知はその見分のやり方に問題があるのであとで吟味する、と善左衛門に言い放った事による、とあった。
その善左衛門は殿中で刃傷沙汰を起こした事により切腹を命じられた。
が、市中では意知を斬殺した善左衛門は「世直し大明神」ともてはやされたそうな。
もう一つ気になったのは、意知の死によりオランダ商館長イサーク・ティチングがこれで日本の開国は遠のいた、と嘆いたこと。
ふ~ん、意知に取り入って日本を開国させようとしてたんか。
ま、田沼時代は賄賂政治で有名だからな。
12時に昨夜以来の食事。
お腹が満たされたら、再び読書&調べ物。
浅間山の゙鉱山を調べていたら、昭和12年11月11日に小串鉱山で山の一部が崩落し山津波が発生。
245名が亡くなる大惨事が発生していた事を知った。
山が怒った?
16時半から夕食作り。
紅鮭、青のりチーズピカタ、小松菜ともやしのナムル、サラダ、納豆、青森赤リンゴ。
午後は読書と調べ物をしていただけなのでお腹は減っていない。
いつもより少なめの量を食べた。
このあとも秋の夜長を読書して満喫する事に。
歩数計は6117。
充実した一日だった。