2024/7/26金曜日
2時半に目覚め最新情報をチェック中に眠れ眠れ攻撃を喰らい寝落ち。
4時に起床し朝食作り。
5時15分に畑へ。
相変わらずトマトは花も咲かず実も成らず衰える一方。

隣の畝の茄子も次々と弱っている。


今年はトマトと茄子の収穫は無しという事か?
集団ストーカーの対象となりロスチャイルド派遣の悪魔に目を付けられたばっかりに。
どうやっても、わいの収穫をコントロールしたい、という意図は伝わっている。
が、このまま、はい、そうですか、と従うつもりは無い。
特に、トマトと茄子と大豆に関しては、今年の収穫は無しな、という勢い。
奴らの攻撃は、緑色の液体、そして、光化学オキシダント、というのはわかった。
光化学オキシダントによる被害は朝顔や里芋、豆類の葉っぱに顕著に現れるらしい。
ネットでその画像を見た。
その茶褐色の症状に見覚えある。
残念ながらそれに対する対策、と言うのはネットに無かった。
取りあえず、今日はにがり水を振り掛けた。
6時15分に畑を後に。
帰宅後、シャワー&洗濯。
ついでにベランダガーデニング。
8時から最新情報をチェック。
8時半から読書。
昨日に引き続き、ジェームス三木著「へその曲げ方 西郷頼母会津藩始末」
昨日も紹介したが、西郷頼母は信州高遠藩保科氏の藩主の弟の家系。
だから、藩主になってもおかしくない家系。
だが、将軍秀忠の隠し子を押し付けられた形で養子とし、会津藩初代藩主保科正之公が誕生。
保科正之公は異母兄家光公に信頼され幕府の重鎮に。
4代将軍家綱公を支えた。

↑一緒に借りた西郷鶴夫著「孤影の名臣 西郷頼母」より。
途中、母方の姓、西郷に替えたものの幕末まで続いたの凄くね?
ちなみに母方の姓の西郷は三河の豪族の西郷氏。
秀忠の生母の西郷の局の出身でもある。
そんな名家の嫡男に生まれた頼母は文武両道。
13歳で詠んだ漢詩も残っている。

剣は溝口派一刀流を学ぶと共に合気道大東流の奥義を深めその秘伝を受け継いだ。
話を幕末に戻す。
これまで学んだ事の復習にもなる。
3/3, 12代将軍家茂公が3代将軍家光公以来数百年ぶりに上洛。
何度も参内し天皇と交わりを深めた。
朝廷と幕府の仲直りも近いと誰もが思った頃、大事件勃発。
天皇と将軍が仲良しなのにヤキモチを焼いた長州藩が下関砲台からイギリスから船団に砲撃!
長州藩は5/10に砲撃。
6月報復を喰らう。


池田屋事件を受けて激怒した長州藩が一千の兵を率いて上洛とか。
YOU達何しに御所へ?
名目は尊王の意思表明と攘夷派七卿の赦免。
で、蛤御門に銃撃。
御所に銃撃とか逆賊やろ。

薩摩藩は戦争をしたイギリスと親密に。
長崎のグラバー商会から軍艦や大砲を大量購入。←このお金は何処から?
グラバー商会は薩摩藩士の外国留学を積極的に援助。←ふ~ん。ちなみに幕府に内緒の密留学な。この頃まだ鎖国だから。
こうした取引に関与したのが坂本龍馬の海援隊←その前身は亀山社中←越前藩主松平春嶽の出資。
坂本龍馬は福井藩主松平春嶽から五千両の資金を引き出し慶應元年、長崎に亀山社中を設立。イギリスの武器商人グラバーと取引した。
慶應二年(1866年)1/21, 京都の薩摩藩邸で西郷吉之助と桂小五郎が対面し薩長同盟の密約を結んだ。
2月、オランダのハーグに留学していた幕臣榎本武揚が幕府発注の開陽丸に乗って帰国。
アメリカ帰りの海軍奉行小栗上野介はこれを機に軍制の洋式化を図り、蘭学・兵学に精通した大鳥圭介を加えて軍装や命令系統、訓練方式を練り上げた。
フランス公使ロッシュの意見を取り入れたので概ねフランス式。
小栗40歳、大鳥34歳、榎本31歳。

家茂が再上洛し天皇に拝謁。
長州征伐の勅許を得、大坂城に入った。
そして、6月、第二次幕長戦争が始まった。
7月に入ると長州藩は外国製の兵器が威力を発揮。←この購入代金は何処から?
両サイドに売った、とあるが、長州サイドに最新鋭のミニエー銃を売ったか。
「攘夷派(長州藩)が夷狄とくっつき、、、」←言ってる事とやってる事が違うやろ!
攘夷!ジョーイ!夷狄を追い払え〜!て叫んでた奴らが夷狄とタッグを組んで幕府を攻撃。
ポッカ〜ン???ですわ。
今日はここまで。
16時半に夕食作り。

煮さざえ、枝豆、ササミの海苔巻焼き、
モズクサラダ、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
後片付けを終えたら読書の続きをすることに。
歩数計は7928。
充実した一日だった。