2024/1/3水曜日
5時半に起床し最新情報をチェック。
地震や飛行機事故はDSによるショック・ドクトリン狙い、と言っている人がいた。
それらの重大事故や激甚災害の裏で大事な法案等を通してしまうのだそう。
年明けの通常国会で予定されている緊急事態条項を含む憲法改正がそれだと考えられる。
また、日本が12/31にダボス会議から抜けてロシアと資源等に関して密約を交わした事への報復なのでは?と言及する記事も多々あった。
いずれにせよDSが関与している事は明白。
今日はスマートシティの北九州市でも大規模火災が発生している。
DSの大好きな劇場型犯罪は続くと思われる。
警察はちゃんと容疑を固めて犯罪者は粛々と逮捕してな。
じゃないと、犠牲になった人々が報われないで。
9時に米麹の「盛り」の作業。
今回はお米がポロポロと解れて作業がしやすい。
麹蓋二つに分けたら発酵器へ。
やる事やったらサイクリングへ。
ネットで市内の熊野神社の木に龍が居る、との画像を見つけ、見に行く事に。
途中、大宮第二公園を通過。
蝋梅が咲き始めていた。
そこから緑のヘルシーロード西縁を南下。
さいたま市立病院を過ぎたところで左折。
まっすぐ突き当たったところに"龍"が居た。
ついでにお参り。
綺麗な神社だった。
ここからは緑のヘルシーロード東縁を目指し帰路に。
12時半に帰宅後、まずは着替え。
結構汗を掻いた。
13時に昨夜以来の食事。
夫とモリモリ食べた。
午後は読書。
脇坂昌宏著「国難を背負って 幕末宰相 阿部正弘 堀田正睦 井伊直弼 の軌跡」を読みながら、この年末年始の読書で学んだ幕末のペリーの来航以降の幕府の対応の復習。
なかでも阿部正弘は尊王攘夷派の親分、水戸斉昭と開国派の幕閣の対立を宥めすかしながらペリーに対応していたのが素晴らしかったらしい。
それにより日米和親条約(外国船に薪や水は有料で与える)は何とか調印に漕ぎ着けた。
蘭癖と呼ばれる程の開国派の堀田正睦は日米修好通商条約の調印で活躍。
京都へ孝明天皇の勅許を貰いに行ったのは尊王攘夷旗頭の水戸斉昭公が大騒ぎしたから。
斉昭は夷狄に薪や水を゙与えるのは良いが商売をするなど以ての外であるとした。
堀田は腹を切れ!ハリスの首は刎ねてやる!と息巻いたそうだ。
これを耳にした正睦は斉昭公は尊王攘夷派だから天皇から勅許を得られれば文句は無いだろうと京へ出掛けたのだそう。
更に、日米和親条約締結の際は孝明天皇も「ようやった!」と好意的な反応だった事も、京行きを後押ししたようだ。
なので、京都に着いてからの天皇からの猛反発は予想外だったようだ。
最後の井伊直弼に関しては、井伊家の末っ子として部屋住み生活が長く、36歳にして漸く藩主の座が転がり込んできた、というのを知った。
それまでは国学を中心に学び国学者の長野主膳を側用人にし、自身もそうであるように家康公以来の譜代大名を中心とする政治を目指していたそうだ。
なので阿部正弘が俊才ということで抜擢した川路聖謨や岩瀬忠震の事は苦々しく思っていたようだ。
井伊直弼に関してはまだ全部読んでいない。
これから理解を深める事に。
18時から夕食作り。
白子の昆布〆、蕎麦、根菜サラダ、松風焼き、紅鮭、酢蓮、漬物、イクラ、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑んで良く食べた。
後片付けを済ませたら営業終了。
読書の続きをすることに。
サイクリング23km。
歩数計は5657。
充実した一日だった。