5時半に覚醒。
最新情報をチェック後、洗濯と読書。
京都に1ヶ月以上滞在していた堀田正睦公は条約調印不許可と一橋慶喜公を次期将軍に、という内勅を手に江戸に戻った。
水戸斉昭公が苦手な将軍家定はその子の慶喜が跡継ぎになるなどとんでもない、そんな内勅を手に戻った正睦を避け始めた。
そして、紀州徳川家の慶福(のちの家茂)を推す井伊直弼を大老に据えた。
家定に頼まれた大老直弼は孝明天皇が推挙する一橋慶喜派を安政の大獄で次々と断罪。
水戸斉昭公は勿論、松平慶永公も。
更に、日米修好通商条約調印に尽力してきた幕閣は退けられた。
断罪はプチャーチンやハリスと渡り合った有能な幕吏、川路聖謨や岩瀬忠震にも及んだ。
一橋慶喜派とレッテルを゙貼るのはCIAみたいなので言い換えよう。
この方々は突如黒船を゙引き連れ江戸沖に現れ大砲を放って脅してきたアメリカのペリーに対し、日本の将来を想い外国について学び激論を交わし交渉して来た人々である。
特に烈公と言われた斉昭公は孝明天皇と同じく超攘夷派。
大の外国人嫌い。
ハリスが江戸に出府し将軍に謁見したいと申し出た際も、絶対ならぬ、江戸に一歩たりとも入ることはまかりならぬ!と猛反対していた。
孝明天皇と違うのは自ら諸外国について学び、那珂湊に砲台を設けるなど海防にも力を入れていた点だ。
大津浜事件のように茨城県沖にも外国船が頻繁に出没。
外国からの脅威は身近に感じていたと思われる。
藩の、日本の将来を想い、藩士子弟はもとより領民にも学ばせようと全国に先駆け藩校の弘道館を創立した。
斉昭公は絵も書も上手い。
刀工家としても職人並。
多趣味多才な人物だったよう。
幕閣の阿部正弘にも一目置かれ、江戸の町民からも人気があったそうだ。
そのような英邁な藩主が安政の大獄で裁断されたのだから水戸の者共は黙っていられないわな。
けれど、勿論捕まった者は皆切腹や斬首。
悲劇ですわ。
日本侵略を狙うDSからしてみれば日本人同士の゙殺し合いは大好物。
ウッシッシーな展開よ。
今日はここまで。
9時に出麹。
今回は米4合600gから753gもの米麹が作れた。
最近は620〜640gだったので大増量。
出来た麹はご飯が手にくっつく程柔らかい。
これは甘酒かべったら漬か西京味噌風の短期発酵味噌作り用として使うことに。
11時からは、次の米麹の仕込み。
今回のお米の蒸し上がりは良い感じ。
米粒がポロポロと扱いやすいので種切りは手際よく終了。
発酵器内へ。
12時から昨夜以来の食事。
ウォーキング帰りの夫とモリモリ食べた。
夫は今日も神社にお参り。
振る舞い酒をご馳走になってきたそうだ。
自分にも甘酒のお土産を貰ってきてくれた。
お腹が満たされたら最新情報のチェックと読書。
堀田正睦本を漸く読み終えた。
が、井伊直弼はたまたま調印日の数日前に大老に着任し調印直前に堀田正睦をクビにしているから、そうなっている。
交渉役に岩瀬忠震と井上清直を任命し条約一つ一つを彼らと膝を突き合わせて詰めて来たのは堀田正睦公。
井伊直弼はそもそも外国とか開国とかに興味を持っていない。
だからその辺の事情を知らぬまま大老を引き受けた。
家定から頼まれ慶喜継嗣を阻止する為に。
なので、岩瀬と井上からの、条約に調印してもいいか、との問に「天皇からの勅許を待つように」と逆立ちしても実現不可能な返事を返す。
それではハリスとの約束違反になるので、どうしても無理な場合は調印しても良いか、との問に対し、「良いが出来るだけ引き伸ばすように」と答えた。
この言質により井伊直弼が条約に調印した事になっている。
この、外国と商売をする事を可能にした条約に調印した事が果たして良かった事なのかどうかには疑問がある。
が、この時、江戸末期は大砲を備えた外国軍艦が押し寄せ大砲をぶっ放し脅してきた。
日本は国を守る為に、それに対抗する大砲と軍艦を必要とした。
それを購入するおかねも。
この時必要だった事は確か。
そうしないとインカ帝国みたいに滅ぼされたかもしれない。
今みたいに交通も通信技術も発達していない時代は夷狄への対応は大変だったろうな、と思う。
幕府としてはベストを゙尽くして対応していた。
それが知れて良かった。
17時半過ぎに、羽田空港での事故を知った。
その後、JALの乗客は全員助かったと知り安堵。
機内の゙あの煙でよう助かった。
奇跡や。
こういう大きな事故の時は何か隠したい事があるのはよくある話。
わいは志賀原発の件だと思ってる。
震度5以上の地震がまだ起こっているし。
より多くの人が目覚めてこういった事故や災害に敏感になってくれるのを待ちたい。
18時から夕食作り。
白子の昆布〆、白子のポン酢掛け、チーズナン、サラダ、おせちの残り、ウォッカ梅酒ロック。
写ってないけどがめ煮をリメイクしたシチュー。
良く呑んで良く食べた。
後片付けを済ませたら、次の本を読むことに。
歩数計は4939。
祈りまくりの一日だった。