2024/7/22月曜日
3時15分に起床し朝食作り。
日の出を待ち4時45分に畑へ。
昨日紹介した悪魔くんお手植えの人参の葉が一夜にして枯れていたので掘ってみたら腐っていた。

次は人参を狙い撃ちなのか?と予測し、自分が植えた人参を収穫。

本当なら2週間後に収穫予定だったが、腐らされちゃうよりマシ。
今なら葉っぱも美味しく食べれるし。
次に、うどんこ病様のキュウリを整枝。
下葉はカットした。
うどんこ病は奴らが撒く菌によるもので作物が風邪を引いたようなもの。
木酢、竹酢、にがり水で元気になる事が多い。
今日はにがり水をプレゼントする日。
青枯病菌をピンポイントで仕込まれたトマトとナスには一杯掛けた。
両隣の枝豆は元気一杯よ。






野菜達が輝けるようアシストしたら、家路に。
7時に帰宅後、シャワー&洗濯。
ついでに納豆作り。
ベランダガーデニングを済ませたら、買い物へ。
10時半に帰宅後、読書をスタート。
大久保長安本の続きを読みたくてしょうがなかった。
日本の金銀は質が高く世界中の貿易商が欲しがった。
鋳つぶして自国の金貨、銀貨に鋳造し直した。

↑スマホをハッキングされ、嫌がらせで時折画像がこんな色になる。
家康との約束は産出金を四分六分で分け合う。
長安が四分。
その代わり山の経費は全て長安と山師が持つ。
鉱山運営の資金は莫大。
事故でも起これば長安の持ち出しになる。
家康はその条件を呑まざるを得ない程、長安の能力は高かった。
長安程の山師は居なかった。
だからこそ、黒川鉱山に続き、石見、佐渡、伊豆、見延と家康所有になった鉱山の運営は尽く長安に任された。
長安が毎月家康に提供する金銀の量は後に900万両に及んだ。
家康は上機嫌だった。
が、大坂の秀吉の遺児、秀頼と会見した後、豹変。
片や70を過ぎた老人。
片やピッチピチの10代。
しかも秀頼は身長180cm超えで威風堂々。
秀頼の存在に危機感を持った家康は目の黒いうちに秀頼を擁する豊臣家を滅ぼす事に。
その為に、策略・策謀のプロの本多正信は欠かせない。
徳川幕府内で対立していた本多正信と大久保忠隣は、やはり本多正信が大久保忠隣の後継者の忠常の俊英ぶりに怖れを無し、本多正信が大久保忠隣潰しに掛かった。
本多正信の手に掛かれば清廉実直な大久保忠隣など簡単に潰せる。
まずは忠常が31歳の若さで急死。
人望の厚かった忠常への弔問は後を絶たず。
しかーし、本多正信は上司への届け出無しに弔問をした者を次々と処分。
忠隣は嫡子忠常の死で意気消沈。
職務を休みがちになった忠隣も処分され、更に忠隣謀反を讒言する者も現れ、何と、改易に!
で、この本によると、本多正信は止めを刺すかのように大久保長安の不正蓄財を主張し、息子達全員を切腹に。
長安の死後、幕府が調べた所によると、120万両の蓄財が見つかったそうだ。
が、これって、家康と取り決めした四分六分の取り分で蓄財した物じゃないの?
六分の家康の蓄財が900万両なのだから四分の長安の蓄財が120両あっても全然おかしくない。
むしろ、四分の取り分から言って、600万両あって然るべし。
家康は、取調べ後、長安の蓄財の少なさに驚いている。
この著書を読む限りでは、大久保長安は冤罪の被害者。
家康公に900万両を齎したのに、自身の取り分の120万両は没収され、息子達全員切腹。
あれを彷彿させる、すさまじさだ。
秀吉による、豊臣秀次の妻妾32名の斬首。
何でこんな酷い目に?て思った。
が、次の本、大泉光一著「暴かれた伊達政宗『幕府転覆計画』」は眉唾物。
だって政宗公がバチカンのローマ教皇に宛てた文書がバチカン機密文書館に遺されている、と書いてある。
その文書には『ローマ教皇の力でスペインの軍事的協力を得て徳川幕府に最後の決戦を挑み徳川秀忠に代わって伊達政宗が将軍職に就き日本の支配者になる』と書かれてあるそうだ。
Wao!
大久保長安は家康の息子、63万石の忠輝の家臣。
そして、120万両の軍資金。
役者は揃っとる。
12時に昨夜以来の食事。
夫はこのクソ暑い中サイクリングに出掛け不在。
納豆と玄米ご飯と味噌汁でお腹を満たした。
午後も読書と調べ物。
16時から夕食作り。

玄米ご飯、昨日の残りのブリアラ汁、冷奴、ウドと人参のきんぴら、酢鶏、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
お皿を洗ったら営業終了。
歩数計は10698。
充実した一日だった。