arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1007日目と畑とテニス

2024/6/15土曜日

4時半に起床。

5時過ぎに畑へ。

 

持参した苗を植えたら水やり。

すると、落花生の花を発見。

黄色い花なのな。

初めて見た。

そして、インゲンも花を咲かせた。

 

相変わらず百花繚乱のズッキーニ。

7時に帰宅。

今度はベランダガーデニング。

水やりをしていると苗用ポットに緑色の液体が。

勿論芽は出ていない。

消毒も兼ね竹酢液を掛けた。

9時に図書館で10数冊の本を借りたらとっとと帰宅。

早速読書。

一冊読み終わったところで食事の用意。

 

11時半に昨夜以来の食事。

12時半にテニスへ。

男子3名女子1名が参加。

4ゲーム先取セミアドの試合を15時まで楽しんだ。

 

帰宅後、シャワー。

16時過ぎに呑み会へ参加する夫を駅まで送迎。

漸く、読書の時間。

 

村道生著「山県有朋」を読み始めた。

 

まずは、長州藩について。

彼の出身である長州では税の負担が重かったようだ。

天保末年で年貢九公一民。

9割が持っていかれるて凄いね。

わい、去年400kgのお米を作ったけどそのうち360kgを持って行かれるて事か。

自分等の食べる分、60kgて。

3ヶ月で無くなるがな。

加えて、長州藩は藩債が九万貫あり、それは収入の23年分なんだそう。

天保九年、村田清風が8か条の流弊改正意見を提案し藩政改革。
うち、第3条で選挙 家柄や資格を度外視し人材を抜擢すべし、と提言。
これにより長州は下級武士による倒幕派の拠点に。

有朋は手子・横目の階級から抜け出す為にひたすら槍術を学び家の裏手のいちじくの大木を稽古槍で突き枯らした。
当時の山県の夢は柳川藩の槍術道場を破り槍を肩に東上し江戸で道場主になることだった。

親友の杉山松助松下村塾入門を勧められるも槍の修行に専念したそうだ。

吉田松陰周布政之助に東西の事情探索の必要を勧告。

6名が京都に派遣される事に。

この時21歳の山県と伊藤博文が含まれた。この時久坂玄瑞梁川星巌梅田雲浜らを訪問。尊王攘夷思想の洗礼を受ける。

帰藩後、久坂の紹介で短期間ではあるが松下村塾に入門。

文久3年1月、入江九一品川弥二郎、杉山松助伊藤俊輔らと共に松陰に師事。

尊攘の大義を遵奉するという理由で士雇に準ぜられた。

5/10, 長州藩アメリカ商船を砲撃。23,26日にはフランス、オランダの船舶に発砲。6/1にアメリカ軍艦ワイオミングから報復。

軍艦癸亥、庚申の2隻が轟沈。

壬戌丸に大損害を喰らう。

6/5にフランス軍艦2隻が前田砲台を攻撃。陸戦隊を上陸させ火門に釘を打ち砲架を破壊して悠々引き上げた。

長州藩は完敗。

穏退中の高杉晋作を起用し下関防禦を一任した。

高杉は士農工商を問わず奇兵隊を建設。山県も参加。12月には軍監に就任し壇ノ浦支営の司令に就任した。

下関戦争では修羅場も経験。↓

たまたま、水を飲もうとしゃがんだ所、頭上を防弾が掠めたそうだ。

直立していたら腹に喰らっていただろう、と回想している。

凄い体験や。

今日はここまで。

 

18時半から夕食作り。

ズッキーニの花椒炒め、ウォッカ梅酒ロック。

家で夕ご飯を食べるのは自分と長男のみ。

手抜きメニュー。

良く呑み良く食べた。

お皿は長男が洗ってくれた。

ありがたく読書の続きをすることに。

 

歩数計は15769。

充実した一日だった。