arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1008日目と畑と梅酒作り

2024/6/16日曜日

4時に覚醒。

外は雨。

洗濯も畑も行けないので大人しく読書。

 

昨日から江越弘人著「幕末の外交官 森山栄之助」を読んでいる。

 

この本によると、栄之助は1820年に長崎で代々通詞(通訳)の役目を任ぜられる家に生まれている。

父親の源左衛門も大通詞まで昇り詰め、オランダ商館長の江戸参府に随行した事もある。

栄之助の凄い所の、まず一つはオランダ語

オランダ人より流暢なオランダ語を話すと言われたそうだ。

もう一つは通詞の中で唯一英語を話せたということ。

当時、日本人で英語を話せたのは他にもう一人。

漂流してアメリカ人に助けられアメリカで生活して帰国したジョン万次郎しか居ない。

但し、彼は当初、幕府の通詞として雇われて居ない。

なので外交の場で英語を活かして活躍したのは森山栄之助のみだった。

時代が英語を要求しているのを肌で感じた彼は1846年からアメリ捕鯨船員ラナルド・マクドナルドから英語を教わった。

ハドソン社社員のイギリス人とインディアンのチヌーク族長の娘の間に生まれたラナルドは成長する過程でインディアンの祖先は日本人と知り日本に対して憧れを持った。

そして、捕鯨船の船員として日本近海まで来て北海道の島に上陸。

そこで日本の役人に引き渡され、アメリカ船に引き渡されるまで日本の牢獄で過ごした。

そこで14名の日本人に英語を教えている。

英語力に磨きが掛かった栄之助は日本の主だった条約に通詞として関与。

最後は幕臣として取り立てられ士分となった。

外国視察にも出掛けイギリス公使オールコックとも親しくなって帰国。

ますますの活躍が期待されたが、何故かそのあと重要な外交場面に登場していない。

そして、明治新政府でも特に活躍せず51歳の若さで亡くなった。

対象的に明治新政府で活躍したのは部下だった堀達之助。

彼はペリーが来航した際「私はオランダ語を話せる!」と言って近づいた人物だ。

彼も、のちに英語を習得。

通詞として順調に実績を積んでいたが下田詰めの時、リュードルフ事件により入牢の憂き目に。

1859年に古賀謹一郎の助力で出獄。

そのあとは再び語学を活かし蕃書調所で雇われたりし、箱館で裁判所判事を務めるなど栄達している。

どちらも外国語に堪能だった為に波乱万丈な人生を送っている。

この本の裏を取る段階で偶然、日英修好通商条約の英文版を見つけた。

Correspondence Relative to the Earl of Elgin's Special Missions to China and ... - Great Britain. Foreign Office - Google Books https://books.google.co.jp/books?id=2vREAAAAIAAJ&pg=PA375&lpg=PA375&dq=Treaty+of+peace,+friendship+and+commerce,+between+Her+Majesty+and+His+Majesty+the+Tycoon+of+Japan&source=bl&ots=05rGc2bQ0S&sig=ACfU3U3uictpH7vQ_WyECtqNp0q-zPOVhA&hl=en&sa=X&ved=2ahUKEwjm6YvfrpD0AhUcrlYBHZcOBjMQ6AF6BAgLEAM#v=onepage&q=Treaty%20of%20peace%2C%20friendship%20and%20commerce%2C%20between%20Her%20Majesty%20and%20His%20Majesty%20the%20Tycoon%20of%20Japan&f=true

後で条約を読んでみる事に。

 

7時に雨が止んだので畑へ。

雨が降ったので支柱を立てやすいかと思ったらカチンコチンに固くて刺さらなかった。

大して雨は降らなかったのかそれとも畑の土が固すぎるのか。

大根を収獲しようとしたけれど、土が固くて1本を収獲するのに30分掛かった。

よくまあこんな土が硬いのに大根になってくれたなぁ〜と感心した。

もしかして緑色の液体は土を固くする成分が入っている?

今日は竹酢液を掛けた。

 

帰宅後、シャワーを浴びたら洗濯とベランダガーデニング。

次に、昼食作り。

ついでにドレッシング作り。

あっという間に12時に。

じゃが芋とズッキーニと玉ねぎでカレーを調理。

全て自家製野菜、というのが嬉しいし美味しい。

玉ねぎはこの前収獲したばかりなのに、もう残り少ない。

来年はもっと作るか。

 

午後も精力的に読書。

18時から夕食作り。

 

ししゃも、焼き芋、冷奴、大根サラダ、キュウリのべったら漬け、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

食後、寛いでいると、紀州から青梅が届いた。

5kg。

早速、今年のウォッカ梅酒作り。

既に瓶も氷砂糖もウォッカも用意され青梅の到着を待っていた。

梅を入れ、氷砂糖を入れ、最後にウォッカを投入。

すると、梅からぷくぷく泡が。

梅が呼吸してる。

3ヶ月後を楽しみに待つことに。

 

歩数計は6856。

充実した一日だった。