2024/6/13木曜日
4時に起床し洗濯、朝食と昼食作り。
6時過ぎに畑へ。
4月上旬に植えたじゃが芋は実が成っていた。
初めて見た。
そして、玉ねぎやニンニクを植えていた畝でこれからトマトや茄子、ピーマンを植える予定のところに緑色の液体がぶち撒かれていた。
植えたばかりのトマト苗の葉が黄色に枯れてきた。
芽が出たばかりの枝豆も。
一体何を撒いてんだか。
消毒も兼ね木酢液を掛けておいた。
8時半に帰宅後、取り敢えず総着替え。
引き続きベランダガーデニング。
そして、今日は紫外線が強いと予報で言ってたのでじゃが芋は北側の玄関に移動。
段ボールの蓋も被せておいた。
10時から読書。
今日からは星亮一著「会津藩燃ゆ第三部 下北の大地 会津藩士広沢安任の生涯」を詠み始めた。
これは昼前に読了。
飢え死にした人も多数居たそうだ。
ここでは3歳の男の子が餓死した、と記載があった。
戊辰戦争が無ければこんな事にはならなかった。
12時に昨夜以来の食事。
お腹が満たされたら午後からは家近良樹著「もうひとつの明治維新 幕末史の再検討」
タイトルの通り、幕末に諸藩内で何が起きていたか、を調査研究したそうだ。
まだオープニングの前書きしか読んでないが断片的な情報だけはメモした。
例えば、長州藩では、元治の内戦前
のちに正義派と言われる政治勢力は「激党」と評されたそうだ。
彼らに批判的だった長州支藩の岩国藩主吉川監物は「正義の人」とされた。
そして、長州藩内敗者、坪井九右衛門グループは改革阻止派では無かった。
という構図。
最後に、赤禰武人は高杉と対立し奇兵隊を追われる。藩内が正義派と俗論派の双方に別れて争うべきでないと正俗調和論を説いた。←これはDSが嫌うやつ。お金と人と時間かけて分断工作しとるから。
最終的に長州藩は討幕の中心となる。
藩論を討幕で統一する為に反対派は徹底的に排除されたようだ。
16時に洗濯物を取り込むついでに鉢植えを日の当たる場所に移動。
その後、取り込んだ洗濯物を畳んでいると夫がベランダで掃き掃除を開始。
で、鉢植え等を移動させている。
夫に日光を当ててるから鉢を動かしたら元に戻して、というやり取りをしているとキレ始めた。
まーた喧嘩が始まった。
悪魔が憑依したか脳味噌ハッキングされてるかのどちらか。
DSはこうやって分断工作をする。
自分は余り色んなところに出掛けない。
だから、結局家族の中での分断を画策される。
もう慣れた。
対処法?
相手にしない事。
自室に退避、と行きたいところだけれど生憎夕食作りの時間。
音楽を流して歌いながら調理。
良い気分転換になる。
17時から夕食作り。
鮭と赤魚の粕漬、味噌汁、新じゃがバター、ルッコラとエリンギ炒め、エビサラダ、残り物のおかず達、焼き芋、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
夫が食べ終わったあとで。
自室に籠もって存分に読書。
歩数計は9082。
充実した一日だった。