arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー986日目と畑とテニス

2024/5/25土曜日

5時に起床し洗濯と朝食、昼食作り。

7時半に畑へ。

 

緑色の液体のせいで作物が弱り、害虫も飛来。

大根やカブの葉も被害に遭っていると判断。

応急処置として木酢液をスプレーする事に。

また、トウモロコシ等は根の色が変色するほど弱り風が吹くと揺れていた。

取り敢えず、根元にもスプレー。

9時まで作業した。

 

帰宅後、読書。

昨日に引き続き、坂本守正著「戊辰東北戦争」

亀田藩に関する記述のところまできた。

亀田藩は二万石で岩城氏が領有。

久保田藩の佐竹氏と姻戚関係があるのもあり久保田藩と行動を共にし当初は西軍側として庄内藩と対峙していた。

小藩ゆえ、軍備の近代化は進んでおらず旧式メイン。

それなのに先鋒を強いられた。

更に、福山では敵の陣中に孤立して取り残されたことも。

↓他サイトより亀田藩の辿った経過を拝借。

 

https://vas-2.sakura.ne.jp/R04-bosinsensou.htm

軍艦山本登雲介と久保田藩家老渋江内膳によるいじめが酷い。

遂に耐えかね庄内藩へ降伏。

庄内藩が降伏するまでの2ヶ月間、人間らしく行動を共にした。

庄内藩が降伏し撤退する際は藩士と家族1700名が庄内藩まで逃避行。

だって、目と鼻の先の秋田藩から新政府軍が攻め寄せて来るから。

庄内藩は1700名が無事に鶴ヶ岡に到着するまで警護。

象潟からは二艘の船も用意した。

無事に逃亡を終えた2日後、秋田藩と新政府軍が進駐。

まず秋田藩藩士の家の中に踏み入り金目の者を略奪。

そのあと、新政府軍は火を放った。

その後、亀田藩から出たと思われる書画や掛軸等が骨董品屋で出回った、と書いてあった。

 

12時に昨夜以来の食事。

14時にテニスへ。

参加者は3名。

ゲームは無しで練習のみやった。

あっという間の2時間だった。

 

帰宅後、まずは入浴。

スッキリしてから夕食作り。

玄米ご飯、鶏ささみのターメリック揚げ焼き、キュウリ&もろみ味噌󠄀、チーズonクラッカー、サラダ、残り物のチャーシュー、ピザ、煮物、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

お皿は長男が洗ってくれた。

ありがたく読書の続きをする予定が眠れ眠れ爆弾💣攻撃を喰らいまくり、この時間になってしまった。

投稿し終えたら読書の続きをする事に。

 

歩数計は14443。

充実した一日だった。