arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー966日目と畑

2024/5/5日曜日

6時に起床し洗濯。

洗濯物を干すついでにベランダガーデニング。

9時過ぎに畑へ。

 

種を撒いたところへ水やりをしたらじゃがいもの土寄せ。

土が乾いていたので結構大変だった。

 

11時に帰宅後、読書。

昨日に引き続き、秋田戦争について。

庄内藩雄物川を渡河し神宮寺や刈和野で戦った。

こちらは奥羽越列藩同盟の藩からの軍もあり結構な兵数だったが西軍は九州方面から船で正に護送船団状態で追加の兵や武器、食糧など必要物資が送られてくる。

しかも、欧米列国からの肩入れもあり武器は最新。

奥羽越列藩同盟軍は数で圧倒的に負けているが、戦略や奇襲、白兵戦等を巧みに取り入れ優勢だった。

久保田城まであと10km、というところで庄内藩は藩主が降伏。

帰路に着くことに。

軍議では、酒井玄蕃が、「退却も、ただ退却するでなく、戦いに勝ってから退却しよう」と提案。

採用された。

 

12時に昨夜以来の食事。

納豆とご飯と味噌汁メインでお腹を満たした。

 

午後も読書。

秋田戦争本は読了。

戊辰戦争に関する本は他に数冊借りているのでまた、取り上げる事に。

 

次は冨樫倫太郎著「白頭の人〜大谷刑部吉継の生涯」について。

この方は関ヶ原の戦いで裏切りの小早川軍の直ぐ側で戦っていた事でも知られている。

あと、病気により歩行も困難立ったので輿に乗って采配を奮っていた事も。

自分は大谷吉継が罹患した病気に関心を抱き、生涯について読んでみようと思った。

わいは病気はDS悪魔が病気の素である何かしらの毒をばら撒いていると考えている。

それで、何かしらヒントは無いか、と読むことに。

新たに知った史実として、10代で秀吉公に召し抱えられ、中国攻めの際、使者として赴いた先の城近くで毛利軍に捕らえられ土牢に閉じ込められた事。

この土牢の環境は劣悪で、救出された際には歩くことも儘ならず、皮膚疾患が全身に現れていたこと。

救出されたあとも症状は収まらず悪化の一途。

そういえば、同じような目に遭った黒田官兵衛も、似たような症状を呈している。

一体何が起きていたのか。

調べてみることに。

 

17時から夕食作り

ししゃも&鮭、大根と牛蒡の煮物、根菜サラダ、鶏ささみの揚げ焼き、チーズ&ナッツ、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

お皿を洗ったら営業終了。

読書と調べ物の続きをする事に。

 

歩数計は7149。

充実した一日だった。