2025/1/11土曜日
5時に起床し夕食会の準備。
ビーフシチュー用の牛すじや豚タンを圧力鍋に仕込んだら、イカと里芋の煮物作り。
鰹節で取った一番出汁を使った。
次に長芋の肉巻き、蓮根肉挟み、牛蒡と椎茸の醪つくね。
残った油を利用し蕗と竹輪と人参を炒めて味付けしてから出汁がらの鰹節で和えた。
合間に、洗濯物を干し、ベランダガーデニングの水やり。
12時には昨夜以来の食事を済ませた。
午後はサラダの下ごしらえ。
クルミを挽き、レモンを絞り、はちみつを加えたら自家製ドレッシングも混ぜて蛸と野菜とまぜまぜ。
最後に、お好み焼き粉を使ってフライパンでハムチーズロールパンを焼いた。
めっちゃ簡単に焼けて、大好評だった。
ちなみに、全てクックパッドからのレシピですわ。
あとは、実家の母から届いた漬け物や筋子もテーブルへ。
めっちゃ助かった。
17時に長男一家と嫁のご両親が来訪。
ホステスとしてめっちゃバタバタしたので撮影する暇無し。
皆で呑んで食べまくった。
デザートには夫が焼いたケーキが登場。
嫁と下の孫のお誕生日をお祝い。
そのあとは一升餅のイベントも開催。
締めは青森からのリンゴ。
実家の母に感謝。
20時にお開きに。
お土産に、同梱されていたみかんといのちも持たせた。
お皿は長男夫婦が洗ってくれた。
ありがたく、読書と調べ物。
今日からは吉村正和著「フリーメイソンと錬金術」を読むことに。
薔薇十字団はドイツのカッセルに於いて出版された匿名の短い宣言文書「友愛団の名声」(1614)と「友愛団の告白」(1615)と共に姿を見せる。
1616年には第三の文書「化学の結婚」が出版された。
薔薇十字団の開祖クリスティアン・ローゼンクロイツ(1378年~1484年)はドイツの名門に生まれ5歳で修道院へ。
そこでギリシア語とラテン語を習得。
16歳の頃聖地エルサレムを目指す巡礼の旅へ。
↑なんか、パラケルススみたいやな。
アラビアのダムカルへ3年滞在しアラビア語を習得。
ちなみに、
トリテミウス(1462~1516年)
パラケルスス(1493~1541年)
エジプトからモロッコのフェスブルーへ。2年間、数学、医学、魔術を学んだのちスペインへ。
クリスティアン・ローゼンクロイツは遍歴の間に修得した学問がヨーロッパで高く評価されると思ったが期待は外れ古い体質を持つ学者達の冷遇を受けた。
彼は自由な情報交換によって学術・技術の進歩を促すアラビアの制度を規範とする「協会」設立の必要性を強く感じる。
↑やっぱ、パラケルススやないか?
12世紀以前は自然研究分野はアラビア文化圏はキリスト教文化圏を遥かに凌いでいた。
この高度に発達したアラビア文化は12~14世紀にかけ続々とアラビア語からラテン語に翻訳され西洋世界に紹介され中世科学の飛躍的発展の原動力となる。
特にアラビア錬金術は経験的・実証的な側面を持ち、化学的な実験を重視。
クリスティアン・ローゼンクロイツはフェスからスペインに入るがアラビア語からラテン語への翻訳はユダヤ人を仲介した。
カバラーはアラビア錬金術と共にスペイン経由でヨーロッパへ導入された。
パラケルススは錬金術を医学と結合。
医療化学(医化学)の分野を創始。
クリスティアン・ローゼンクロイツがドイツに帰り薔薇十字団の創設と共に尽力したのは「多くの病人を無料で治療する」こと。
病気治療による神の栄光の顕現。
薔薇十字錬金術に於いて、宇宙は神による天地創造以来、神の栄光を表す巨大な実験室とみなされた。
↑神て栄光を求めるのな。
クリスティアン・ローゼンクロイツは遍歴ののち、スペインからドイツに帰国。
「金属変成」によって名声を得る事が出来たにもかかわらずそれはせず、数学の研究に没頭。
多くの器具(化学器具或いは楽器)を制作。それから5年後、少年時代に教育を受けた修道院から3人の同志を集め薔薇十字友愛団を創設。
彼らは「魔術言語と文字」及び「Mの書」第一部を作成。多くの人々の病気治療に専念。
「聖霊の家」が完成し新たに4人の同志が加わり薔薇十字運動が着実に進展していく。
遂に薔薇十字団が出て来た。
その創設にパラケルススが貢献していたのは驚き。
やっぱ、凄い医師且つ錬金術師だったのな。
今日はここまで。
歩数計は8547。
充実した一日だった。