2024/5/16木曜日
4時半に覚醒。
暫し最新情報をチェック。
5時から洗濯と朝食、昼食作り。
外は雨。
5時45分に長女を駅まで送迎。
ついでに買い物をしてから帰宅。
雨が小降りになってから洗濯物を干した。
そして、ベランダガーデニング。
すると、トウモロコシの種を蒔いたポットから何故かトマトが一緒に発芽。
それも、2つのポットで発生。
ロス茶派遣の悪魔くんはこういう悪戯を仕掛け「どうだ、参ったか!」とマウントしてくる。
はぁ~とため息をつきながら発芽したトマトの芽を新たに用意したポットに移植、という処置をした。
9時半に図書館へ。
数冊返却し予約した本を8冊借りてきた。
帰宅後、早速読書。
今日からは中島欣也著「裏切り〜戊辰、新潟港陥落す」
初っ端p.24で薩摩藩による悪事に遭遇。
「慶應3年12月、江戸市中は不安におののいていた。ぴんぴんと起こる押し込み強盗。それも1人や2人ではない。時には30人、50人の隊が富豪の家を襲い、家人を殺して、何千両という金を強奪していくのである。本郷追分の豪商高崎屋が襲われた時などは無法集団は時節柄早く錠前をおろしていた店の格子戸を掛矢で打ち壊し、駆け付けた近所の人達数人と家族七人を斬り殺し血の海の中から有金残らずを奪って悠々と立ち去っている。〜取締の幕府方はその都度兵を差し向けたが、彼らは追われるとばらばらに逃げ散って江戸三田の薩摩屋敷へ逃げ込んだ。召し捕った者を尋問すれば、どうやら薩摩藩邸こそ不逞の連中の巣窟らしい。」
↑こんな凶悪犯罪をやってた連中が明治新政府の中枢でっせ。
そら、裏金ポッケナイナイ程度じゃばっくれますわ。
でもって、新潟港陥落の話に戻るけど、そこここに外人さん達出てきますわ。
武器商人のスネル兄弟とか公使パークスとか通訳のアーネスト・サトウとか。
そして、早くも新発田藩の家老や藩主が続々登場。
新発田藩は元々、勤王藩として知られていた。
特に、10代藩主直諒公は、ウィキによると、山崎闇斎の崎門学派の影響を受け「尊王開国」論を説き「報国説」「開国説」という書を記している。
なので、朝廷に対して従順。
慶喜討伐の勅も幼帝を傀儡に岩倉らが出したにも関わらず、真に受けていた?
流石に明治天皇が若干14歳てのは知ってた?
当時の新発田藩主直正公も若干12歳だったから状況は同じか。
ただ、新発田藩の方は前藩主が健在だった。
で、勤王藩だからさっさと新政府軍に味方します!て宣言したかったけれど、周囲は米沢藩、会津藩、庄内藩、と佐幕派の藩ばかり。
ご近所の長岡藩は中立を保とうとしていたものの新政府軍派遣の土佐藩岩村精一郎から却下され、新政府軍と戦う事を選択。
この続きはあとで。
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書。
16時から夕食作り。
間引いたミョウガの葉で巻いたお寿司。
モウカザメと鶏手羽元の唐揚げ、人参サラダ、お寿司の残り。
これに朝の残りの味噌汁とウォッカ梅酒ロック。
美味しく頂いた。
お皿は長女が洗ってくれた。
ありがたく読書の続きをする事に。
歩数計は7263。
充実した一日だった。