2024/3/15金曜日。
6時45分に起床し洗濯と昼食作り。
ベランダでの水やりも済ませたら8時過ぎに畑へ。
昨日、作物の生育状況をチェックした際、エンドウ豆の蔓が伸びていたのでネットを張る事に。
ついでにビーツの間引きと雑草取り。
間引きしたビーツの赤ちゃんはスープで食べることに。
9時半に作業終了。
帰宅後、読書。
義和団本は昨夜読了。
今日は加治将一著「あやつられた龍馬〜明治維新と英国諜報部、そしてフリーメイソン」を読むことに。
めっちゃ読みやすい。
そして、以前、他の本を読んで疑問に思った事や詳細が知りたいと思った事が次々と明らかに。
以前、生麦事件の本を読んだ時「ん?何で捕虜になった?」と疑問に思った。
謎が解けた。
結論から言うと、自分も予想していたが、彼らはイギリスと内通していた。
長崎滞在中、イギリス商人グラバーと親密に。
そして、生麦事件のあと英国艦隊が鹿児島に賠償金請求or報復に向かった際、グラバーからそれを知らされた。
五代がもしかしたら藩は賠償金の支払いを拒否し応戦するかも、と告げるとグラバーは長崎に立ち寄ったイギリス軍医のレニーを説得。
レニーは五代に横浜で準備中のイギリス艦隊の様子を伝えた。
五代はそれを長崎薩摩藩の蓑田伝兵衛に話して欲しいと依頼。
が、結論が出ないまま、取り敢えず五代は鹿児島へ青鷹丸で急行。
イギリス艦隊と同日に鹿児島に到着した。
何とか戦争を回避しようと藩を説得するも取り合って貰えず。
独断で、賠償金の代わりにしようとしたのか、藩が購入したばかりの商船3隻を富津元浦へ移動させた。
のちにイギリス艦隊が3隻とも拿捕。
自分達は捕虜となり連れてイギリス横浜領事館から合計150両の逃亡資金を貰い約1年に渡って潜伏した。
結局、敷地内に砲台が幾つも設置されている要塞のグラバー邸に匿ってもらった。
薩摩から何人もの刺客や仇討ちが派遣されたが最新の武器を携帯した警備に守られて過ごしたそうだ。
商人グラバーは兎に角自由貿易がしたい。
その為には幕府が邪魔。
なので倒幕に協力してくれそうな藩士を見出しては支援していたようだ。
もう一つ明らかになったのは伊藤博文によるイギリス公使館焼き打ち事件。
伊藤博文は当時開国派の指導者的存在の桂小五郎の手付けだった。
その彼が突如「攘夷!攘夷!」と攘夷血盟団と共にイギリス公使館に火を付けるのである。
開国派と攘夷派て相対する考えだが。
そして、その事件の4ヶ月後にイギリスへ密航。
外国も外人も大好きやん!
恐らく、イギリス公使館焼き打ち事件はイギリスに頼まれて放火。
それによって、イギリスは長州藩を報復措置で攻撃出来る口実となる。
それで、イギリスの兵器の凄さをPRして長州藩に武器を購入させる、と。
薩摩藩のように。
薩摩藩は薩英戦争のあとグラバーを通して英国から武器や船を買いまくっている。
五代や寺島もイギリスに密留学。
長州ファイブの留学の時と同じでスポンサーはグラバー。
グラバーとしてはあとで武器を大量購入して貰えるのだから留学費用を出す位安いもん、らしい。
ここでタイムアップ。
11時から米麹作り。
米麹のストックが無くなったので作ることに。
今回は五分米と十分米が半々。
蒸し上がったご飯はちと柔らかい。
混合で作るのは初めて。
品温が40度に下がってから種麹を振りかけてまぶした。
パイレン布、晒布の順に包んだら33℃設定の発酵器内へ。
時刻は12時。
昨夜以来の食事をする事に。
味噌汁とご飯と納豆メインでお腹を満たした。
お腹が満たされたら、午後も龍馬フリーメイソン本。
余りにわかりやすいのでネットで検索してお買い上げする事に。
幕末の動乱期に何が起こったのか時系列でだいぶ整理された。
17時半から夕食作り。
カレー、ナン、ビーツと鰯のつみれスープ、生ハムとクリームチーズのサラダ、即席沢庵漬け、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
食後も読書を楽しむことに。
歩数計は5525。
充実した一日だった。