arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー909日目

2024/3/9土曜日

7時半に起床し洗濯。

ベランダの水やりも済ませたら9時から読書。

 

昨日に引き続きアーネスト・サトウの日記本。

日記は日々めまぐるしく変わる幕末の動乱に関して他人事のように淡々と書かれている。

そしてジャパンタイムズで発表した英国策論の内容通りに事が運ばれている。

事が運ばれるように西郷や大久保、坂本のような下級藩士達に陰ながら指示を出し激を飛ばしている。

が、倒したい幕府は徳川慶喜始め優秀なブレーンが多いからなかなか策に乗って来ない。

そこで、薩摩藩は浪人を雇い江戸で放火、強盗、殺人事件を起こし撹乱する作戦に出た。←立派な犯罪。テロ行為。武士の風上にも置けない。

江戸の警備を担っていた庄内藩が犯人達が逃げ込んだ薩摩藩に向かい犯人の引き渡しを要求するも銃弾で攻撃してきた。

それに対し庄内藩は怯むどころか犯人の捕縛に邸内へ。

いつの間にか屋敷が燃え世に言う「薩摩藩邸焼き打ち事件」となった。←わいは薩摩藩が自分で火を付けたと思っとる。庄内藩に火を付ける理由はない。

で、犯人達は薩摩藩の船で大阪へ逃げましたとさ。

幕府海軍は江戸湾では取り逃がしたが大阪で投錨していた開陽丸に砲撃された。

で、自分達で攻撃される犯罪をおかしながら「幕府が手を出したー!反撃できるー!」て喜んだらしい。

これも早いとこ幕府から実権を奪いたかったイギリス(アーネスト・サトウ)からの指示なのかも。

 

12時に昨夜以来の食事。

残り物で済ませた。

 

午後も読書。

アーネスト・サトウは下級藩士達に早く倒幕を、と急かすけれど、なかなか進まない。

わいも、倒幕の大義名分を一生懸命探したけれど、どこにも何にもない。

将軍はフランス革命における王族のように贅沢な暮らしはしていない。

大名や旗本、代官とて皆質素な暮らしをしている。

失政もしていない。

パンが無いならお菓子を食べれば良いなんて言わない。

歴代の将軍は米が無いなら余の米を分け与えよ、とお救い米を供出している。

庶民もなんだかんだ徳川300年の太平の世に感謝していたと思う。

それがさ、外国からフリーメイソン連中が来て、下級藩士を使ってフランスみたいに革命を起こさせて支配階級を取っ払って自分達がそれに変わろうと企むわけよ。

だけど、フランスと違って日本はオリエンタル顔だから自分らがそのまんまトップに君臨したら「欧米か!」て人々が怒るから、しゃーないからオリエンタル顔の下級藩士達をトップに据えて陰で操った。

それが明治政府よ。

徳川家に最後まで忠誠を貫いた会津藩が御所の警備から離れ代わりの五藩が警備に。

これで御所を封鎖し、王政復古のクーデターを決行。

クーデター政権が翌朝、小御所会議を開催。

ここでめちゃくちゃな事をやりまくった。

何せクーデター政権だから。

その中でも土佐の山内容堂は気を吐いた。

松平春嶽公も。

↓ウィキに彼らの発言が載っていた。

 

【前土佐藩主・山内容堂が大声を発して議論をはじめ[44]「速やかに内府公(慶喜公)のほうから朝議にご参与していただくべきだ」と主張[45]。公卿・大原重徳に「内府公(慶喜)が大政奉還したのは忠誠から出た行動かどうか知れないため、しばらく朝議に参与させない方がよい」と反論されると山内は抗弁し、「今日の(会議参加者の)ご挙動はすこぶる陰険なところが多い。そればかりではなく、凶器をもてあそんで、諸藩の武装させた兵どもに議場を守らせ、わざわざ厳戒態勢をしくにいたっては陰険さが最もはなはだしく、くわしい理由すら分からぬ。王政復古の初めにあたっては、よくよく公平無私な心でなにごとも措置されるべきでござろう。そうでもございますまいば、天下の衆心を帰服させられもすまい。元和偃武から300年近くも天下泰平の世を開かれたのは徳川氏ではござらぬのか。なのに或る朝なれば突然理由もなく、大いなるご功績のあらせられる徳川氏ともあろうおかたをおそれおおくも排斥いたすとはいったい何事なのか。これぞ恩知らずというものではないか。いま内府公(慶喜公)がご祖先からご継承された覇権をも投げうたれ、ご政権をご返上なされたのは政令一途であらせられるからに違いなく、金甌無欠の国体を永久に維持しようとしたものであらせられます。かの忠誠のほどは、まことこのわたくしなどにも、感嘆をこらえがたいほどだ。しかも、内府公(慶喜公)のご英明の名は、すでに天下にとどろいているのではないのか。一刻でも早く、すみやかに内府公(慶喜公)のほうへ朝議にご参与していただき、台慮たいりょ(貴人の考え)を開陳していただき遊ばされるべきだ。しかるに、2、3の公卿のかたがたはいったいどんなご見識をもってこんな陰険な暴挙をなされる。わたくしにはすこぶる理解しがたい。恐らくではありますが、幼い天皇をだきかかえ[46]、この国の権勢を盗もうとたくらむ悪意でもおありになるのではございますまいか。まこと天下に戦乱の兆しを作るくわだてと申すべきでござろう」と一座を睥睨すると、意気軒高に色を成し主張した[47][48][49]。越前藩主・松平春嶽も「王政を施行する最もはじめのときにあたって、刑罰の名をとって、道徳の方を捨ててしまうのは、はなはだよろしくない。徳川氏にあらせられては200余年の太平の世を開かれた。幕府による天下泰平の功績はこんにちのわずかな罪を償うに余りありましょう。皆さまもよくよく、土佐殿(山内容堂公)のお言葉をお聞きになるべきです」と、山内に歩調をあわせた大論陣を張った[50][51][52]。】

 

これに怯んだ岩倉に対し西郷は「短刀一本で片が付く」とアドバイス

他に反論出来る要素が何も無かったとゲス。

徳川慶喜に落ち度は無いからね。

このあと、何でか鳥羽・伏見の戦いが始まって、何でか戊辰戦争で北へ北へと戦いが続くんよ。

何でだろね?

このあとも、倒幕の大義名分を見つける為に読書を続ける事に。

 

18時から夕食作り。

豚肉入り&ケチャップライスバーガー、コンソメスープ、カマンベールチーズonクラッカー、サラダ、イカのさつま揚げ、豚の生姜焼き、残り物サラダ、ウォッカ梅酒ロック。

残りご飯が多かったのでホットサンドフライパンで2種のライスバーガーを製作。

中にチーズを挟んだケチャップライスバーガーが傑作だった。

後片付けを済ませたら再び読書。

 

アーネストサトウ日記本における「大君(徳川慶喜)」の描写に苛つきながら読み進めた。

アーネストサトウがフリーメイソンなのは周知の事実。

その目線で読んで行くことに。

 

歩数計は4731。

充実した一日だった。