2024/2/25日曜日
5時半に起床し洗濯と昼食作り。
6時45分に買い物へ。
8時に帰宅後、テニスへ行く準備。
9時にご近所テニスへ。
男子2名女子2名が参加。
最初のアップの30分は雨が降っていなかった。
が、ゲームを開始しようとすると雨が落ちてきた。
本降りになるまではやろう、ということで6ゲーム先取の試合をスタート。
初戦は男子ダブルス対女子ダブルス。
何とか2ゲームは取ったが2-6で完敗。
次はミックス2戦。
6-4, 6-2と連勝した。
最終戦は結構な雨だったが何とか怪我なく無事に終了。
11時に気持ち良く終わった。
雨に濡れたので帰宅後、すぐお風呂。
12時から昨夜以来の食事。
親子丼とスープと漬物でお腹を満たした。
午後は読書。
昨日に引き続き、「幕臣達と技術立国」
最後の榎本武揚について。
今回興味深かったのはオランダ留学に際し、オランダに到着するまでの紆余曲折。
まず、1862年6月18日、咸臨丸で築地を出航直後、船内で麻疹が流行。
下田で逗留し療養したそうだ。
その後、長崎に寄り、カリプソ号に乗り換え、まずはバタビア(現ジャカルタ)へ。
そして沈没し無人島に上陸。
壮絶な経験しとるな。
遣唐使船の鑑真みたいや。
10月18日にバタビア到着。
色々見学とかして11月2日に出港。
年明けて2月8日にナポレオンが幽閉されていたセントヘレナ島に到着。
めっちゃ時間掛かるのな。
島の唯一の都市ジェームスタウンから中島三郎助に宛てて手紙を書いているそうだ。
戊辰戦争でも共に戦ったけど仲良しだったのな。
1863年6月2日にオランダ南西部ブラーウェルスハーフェン港に到着。
品川を出て324日目てほぼ1年やないかー!
そして、1863年5月に長州藩が攘夷を実行しオランダ軍艦に砲撃。
死者4名重傷者5名を出した事により留学生に対する風当たりが強くなった。
ヨーロッパでも戦争が勃発。
榎本は赤松大三郎と共に観戦武官としてデンマーク対プロシア・オーストリア連合軍の戦争を見学。
その際、野戦電信の有用性を認識。
自ら電信機を購入し下宿で練習。
モールス印字機の扱いにも習熟したそうだ。
このあとライデンでフィッセリング博士から国際法も学んでいる。
1866年、幕府がオランダに注文していた400馬力の蒸気船が完成。
全長80m幅12m排水量2600t定員400名の巨船だ。
軍艦として砲26門を搭載。
派遣された留学生はこれに乗って帰国する事になっていた。
オランダで客死した留学生大川喜太郎以外は(泣)
横浜に投錨したのは1867年3月25日。
帰りは150日で日本に到着した。
帰国した武揚には百俵15人扶持で軍艦役並として開陽丸乗組が命じられた。
武揚はその艦長を命じられた。
5月23日、慶喜が京都で兵庫開港の勅許を得た事で薩長の倒幕勢力は危機感を募らせた。
10月6日、兵庫開港前後に軍事衝突が懸念される為、幕府艦隊に出動命令が。
開陽丸艦長として武揚も兵庫沖へ。
12月7日、倒幕派によるクーデター計画の情報が幕府にもたらされ武揚と矢田堀景蔵は京都の二条城への登城を命ぜられた。
12月9日朝、薩摩・芸州・尾張・越前の藩兵が御所に向かい、桑名・会津の藩兵を排除。
↑まだきちんと調べてないが、前半の4藩は倒幕派の藩てこと?
夕刻に具視(岩倉)達が16歳の天皇の名で新政権樹立を発表した。
↑この時の明治天皇は本物?偽物?
既にすり替わっていたらやりたい放題や。
12月12日、慶喜は二条城を出て辞官と領地返納を朝廷に申し出て恭順の意を示した。
このあと何で戊辰戦争やらなあかんの?
12月25日、薩摩が雇った浪人達の手で江戸のほうぼうが放火された。
放火犯達は薩摩藩邸に逃げ込むがフランス軍事顧問ブリュネ砲兵大尉の助言で薩摩屋敷を砲撃。←火に油注ぐ助言やな。
浪人と薩摩藩士は芝沖に停泊中の蒸気船翔凰丸に乗って遁走。←斉彬公が聞いたらどう思うだろうね。
その後、開陽丸に追跡され砲撃を受け年初1月2日頃、阿波沖で自焼した。
幕府海軍がその強さを見せつけていた頃、陸軍は大苦戦。
疑惑の「錦旗」をはためかせた薩長の倒幕派は官軍を名乗り、「え?俺ら朝敵?」とびびった幕府軍は動揺。
諸藩は次々と寝返った。
慶喜の恭順の意志が固い為、多くは抗戦の主張を引っ込めた。
が、武揚達は凡そ40万人の徳川家臣団の生活の保証が為されるまで戦う事を決意。
武揚は以前、堀利熙に付いて蝦夷を測量した事もあって箱館に土地勘もある。
フランス軍事顧問団と公使ロッシュも抗戦を勧めた。←やっぱりね。
8月15日、徳川家の駿府移住が完了。
禄高はそれまでの400万石から70万石へ。
家臣団の殆どは路頭に迷う事に。
8月19日、武揚率いる艦隊は品川沖を脱走。
その際、三通の文書をしたためている。
一通は新政府の腐敗と堕落を弾劾。
徳川家処分の非道を訴えている。
二通目は勝麟太郎宛の決別の書状。
三通目は新政府に宛てられた文書で一通目より檄文且つ長文。
10月9日、仙台湾で旧幕府軍の松平太郎、大鳥圭介、土方歳三ほか奥羽越諸藩の脱走兵を収容。
10月19日に噴火湾の鷲の木沖に到着。
箱館戦争が始まった。
今日はここまで。
17時から夕食作り。
ハンバーグ、大根サラダ、豚汁、玄米ご飯、漬物、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
食後も読書を楽しむことに。
歩数計は13965。
充実した一日だった。