arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー880日目と金曜テニス

2024/2/9金曜日

5時半に起床。

まずは米麹の出麹。

良い感じに出来た。

そして、洗濯と朝食、昼食作り。

8時からは公開されたタッカー・カールソンとプーチン大統領のインタビュー動画を視聴。

8時半に自転車で金曜テニスへ。

 

男子4名女子5名が参加。

対面でのアップを済ませたら4ゲーム消化セミアドの試合をスタート。

11時まで楽しんだ。

 

買い物してから帰宅。

まずは、醤油麹用の大豆500gを茹でる作業。

圧力鍋にセットしている間に、発酵機のスイッチをオン。

豆麹は米麹に比べ非常に品温が上がりやすいので25度に設定。

次に、買ってきた食材を収納。

13時から昨夜以来の食事。

大豆が蒸し上がったらパイレン布に広げ種切り作業の用意。

予め、昨日炒って摺った大豆と種麹を混ぜ混ぜ。

大豆が40℃以下に下がったのを確認してからよーく混ぜ混ぜ。

そのままパイレン布に包んだら晒布に包み発酵機内へ。

米麹と同じようにやっている。

 

豆麹作業が終わったら、鰊の切り込み作り。

スーパーで生鰊が売られていたので作ってみる事に。

調べると作り方の動画が一杯。

それを見ながら鰊を捌き、塩水で3度洗い、水気を゙取ってから塩麹と甘麹、酒、輪切り唐辛子で味付け。

後は3日間、朝晩水抜きをするそうだ。

その間に夕食の下ごしらえ。

更に、生メカブを茹で、包丁で叩いた。

もうメカブの季節ですわ。

明日食べる事に。

 

16時45分から漸く読書を開始。

ソファに座った途端、全身にビリビリ電磁波攻撃。

もう慣れたけど。

効き目無いのわかってても仕事だからやらないと、なんだろうね。

それ、犯罪だから。

 

17時半から入浴。

18時から夕食。

 

チーズフォンデュウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

食後、酔っ払った夫が(悪魔が憑依して)絡んで来たので自室に退避。

喚いている声が聞こえて来て煩いのでイヤホンして音楽を゙聞きながら読書。

 

ここのところ、赤松小三郎本を読んでいる。

この方、長崎海軍伝習所オランダ語や砲術を学んだけれど、その後、江戸に戻ってからは横浜で英国軍人に英語やイギリス式軍隊についても学んでいる。

幕府はフランス式軍隊に倣う事にしたが、薩摩藩や、会津藩は英国式に拠る事とした。

小三郎は京都の薩摩藩邸で座学を、相国寺で隊列等を教授。

その子弟には野津兄弟や東郷平八郎など日露戦争で活躍した面々も含まれている。

授業は午前3時間、午後2時間の他に時折課外授業もあったそうだ。

その教えは兵学のみならず諸外国の政治システム等にまで及び人気を博したそうだ。

その評判を耳にした会津藩からも教授の依頼が。

薩摩藩会津藩の両方で教鞭を取った。

後に、戊辰戦争で相対する両藩。

遂に、危険を察知した上田藩から帰藩命令が。

そして、上田藩に帰る事になった小三郎は薩摩藩士に暗殺される。

「薩摩の軍事機密を知っていながら幕府にも通じている間者」という理由で。

確かに幕府の閣僚と度々会っている。

それは、まず、小三郎が幕府に提出した建白書(意見書)の内容が非常に優れていて幕閣の゙目を引いたから。

そうでもないと、大臣クラスの幕閣が一藩士に会うわけが無い。

更に、京都在住で長州藩を゙巡る扱いで対立していた幕府と薩摩藩の間で戦争が起こりそうなのを肌で感じていた小三郎は何とかそれを防ごうと薩摩藩と幕府の両方に働きかけていた。

国民議会方式で政治を行っていこうやないか!!と。

この頃、西郷と会談したイギリスの外交官アーネスト・サトウの著書「一外交官の見た明治維新(下)」p.45によると『西郷は「国民議会」の構想を熱心に論じていた』と証言している。

加えて「これは私には狂気じみた考えのように思われた」とも述懐している。

ここ、大事なとこや。

ある意味歴史の転換点。

西郷どんはこの時点では戦争を回避する方向で居た。

が、サトウの煽る事。

サトウの背後には武器商人のグラバーがおる。

ちなみに、サトウは日系人でも無く、ガチの白人で英国人。

イスラエルでは世界で活躍したユダヤ人の一人と認定されているそうな。

サトウについてはも少し調べることに。

 

テニス2時間。

サイクリング14km。

歩数計は13638。

充実した一日だった。