arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー888日目と醤油の仕込み

2924/2/17土曜日

6時に起床し豆麹を出麹。

洗濯と昼食作りを済ませたら8時から豆麹作り。

8時半に豆が蒸し上がった。

パイレン布に広げ冷ましている間に醤油の仕込作業。

出来たばかりの豆麹と水と塩を瓶の中で混ぜ混ぜ。

ついでに他の仕込み済の瓶も混ぜ混ぜ。

 

 

9時からは次の豆麹作り。

「種切り」作業をすることに。

蒸し上がった豆の品温が40度を切った所で、予め炒って石臼で挽いた玄麦と種麹をボウルの中で混ぜ混ぜ。

よーく混ぜたら発酵機内へ。

 

次は石臼で玄麦を挽く作業。

 

玄麦は醤油仕込み用2回分の1kgを確保する事が出来た。

おやつ用の゙フレンチトーストも確保(笑)

時刻は11時。

やっと読書の時間に。

 

今日からは島津斉彬公に関する本。

この方は幕府200諸侯の中でも世界情勢に関する知識でずば抜けていた。

しかも、知識だけでない。

実学に関する知識も素晴らしい。

軍艦の建造や反射炉を使っての大砲の製造、薩摩ガラスの奨励等、殖産興業にも力を入れた。

勿論、人材の育成にも余念が無かった。

こんな素晴らしい人が50歳で闘病1週間で急死するのだから、闇を感じる。

以前も、斉彬公の5人の男子が死去した事実を述べた。

今日の本を読んでいて斉彬公の子供11人中8名が夭折していた事が判明。

女子3人しか成長しなかった。

3女は島津久光の子で藩主の忠義の正室になるも18歳で出産する際難産となり死去。

5女の゙寧子も忠義の後妻として嫁ぐも同じ様に難産が原因で死去。

忠義の弟に嫁いだ4女の典子が2男3女を儲け血を繋いだ。

江戸時代末期て、藩主の子で十分な食事を摂れても死んじゃう時代だったのな。

出産も命懸けなのな。

 

12時に昨夜以来の食事。

夫にはミートソーススパゲッティを用意。

喜んで食べていた。

 

午後も読書。

14時に畑へ。

小松菜がめっちゃ大きくなっていた。

 

17時半から夕食作り。

ガーリックトースト、豆乳シチュー、青梗菜と干しエビのペペロンチーノ、サラダ、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

後片付けを゙済ませたら営業終了。

読書の続きをする事に。

 

歩数計は6832。

充実した一日だった。