arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー938日目とOさんテニス

2024/4/7日曜日

6時に起床し洗濯と朝食、昼食作り。

7時半から読書。

 

昨日から「緋色の華~新徴組おんな組し士中沢琴」の下巻を夢中になって読んでいる。

だって、新徴組がカッコいいんだもの。

時は幕末。

1867年は激動の年。

英外交官アーネスト・サトウが英国策論で1868/1/1までに兵庫開港!と宣言したのもあり倒幕を目論む岩倉や大久保、西郷は急かされている。

10月、15歳の幼帝の明治天皇を良い事に討幕の密勅を用意したものの、徳川慶喜大政奉還をした事で密勅の意味が無くなった。

が、どうしても武力討伐したい薩摩藩は江戸で攪乱工作。

浪人を集め薩摩糾合隊を組織。

彼らに江戸市中で強盗や強殺をさせ幕府を煽った。

江戸の警備を命じられていた庄内藩は新徴組に見廻りをさせ糾合隊を警戒した。

12/23には庄内藩屯所に銃弾を打ち込み1人を死亡させ1人に重傷を負わせた。

その日の深夜には江戸城二の丸に放火。

堪りかねた庄内藩は他の八藩の軍勢と共に糾合隊が逃げ込んだ三田薩摩藩邸へ出向き犯人の引き渡しを要求。

留守居役の薩摩藩篠崎彦十郎はしらばっくれた。

それに対し幕府は武力行使

すると、邸内に潜んでいた浪人達は逃げ出した。

中沢琴は海の方へ逃げ出した浪人達を追った。

が、気づいた時には浪人達は小舟を漕ぎ出し沖合に止まっている翔凰丸へと向かっていた。

琴は海岸で叫んでいた。

そこへ翔凰丸から砲弾が。

琴は吹き飛ばされ足を怪我した。

犯罪人の浪人達を載せた翔凰丸は大坂へと向かった。

新徴組の面々は薩摩藩邸焼き打ちの際、獅子奮迅の活躍。

江戸に凱旋した。

江戸を騒がせていた薩摩糾合隊を取り締まった、ということで市民から大歓迎を受けた。

この薩摩糾合隊による江戸市中での暴挙に大坂の慶喜は討薩の表を表明。

宣戦布告をした。

ここから戊辰戦争がスタート。

鳥羽・伏見では薩摩藩による砲撃で開戦。

15歳の幼帝を操り慶喜討伐の勅令を発令した。

これにより慶喜は朝敵に。

鳥羽・伏見の戦いで敗れた慶喜は江戸へ戻る事に。

庄内藩も庄内へ戻る事に。

中沢琴達新徴組も庄内藩に付従い庄内へと向かった。

今日はここまで。

 

10時半からテニスへ行く用意。

11時半に出立。

車中でおにぎり二個をたいらげた。

12時半に吉見総合運動公園へ到着。

男子3名女子1名が参加。

暖かい陽気の中沢、17時までテニスを楽しんだ。

 

18時に帰宅後、夕食の用意。

青梗菜と春菊と豚肉の鍋、玄米ご飯、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

 

このあとも読書をする事に。

歩数計は16492。

充実した一日だった。