2024/3/17日曜日
5時半に起床。
まずは米麹の出麹。
今回は米を蒸す段階で柔らかく仕上がったのでよく解れなかった。
なので米麹の出来上がりも団子状に。
特に問題無い。
早速甘麹作りに300gを使った。
続いて、洗濯とベランダでの水やり。
そして、おにぎり作り。
あとでテニスの時に食べることに。
やることやったら8時から読書。
昨日に引き続き龍馬のフリーメイソン本。
イギリスのメーソン達はアーネスト・サトウがジャパンタイムスに寄稿した「英国策論」で述べた通り「1868年の元旦」を目指し邁進していた。
1867年、パークス英国公使は軍艦を引き連れ北方諸藩を巡回。
威嚇して回った。
何せ軍艦から大砲達がにょっきりと突き出て並んでいるのが見て取れる。
海に面した諸藩はその姿を見て倒幕派に付いた。
そして、加賀藩は中立を貫く事を要請された。
最後まで靡かなかったのは南部藩、長岡藩、会津藩、二本松藩など海から遠い内陸の藩のみ。
太平洋側から函館を廻り日本海は新潟方面へも出没したのは幕府の番犬会津藩を煽る為、とも言われている。
そして、長崎に戻ってきたパークスとサトウを待っていたのはイカルス号事件。
イギリス水兵2名が殺害された。
イギリスは目撃情報から土佐藩による犯行と推定。
幕府に対し、パークスとサトウは土佐藩に行って取り調べする、と通達。
四国へ旅立った。
まずは徳島藩へ立ち寄り。
そこでサトウ配下の沼田寅三郎を使い、徳島藩を倒幕派に引き摺り込むことに成功した。
次に、高知へ。
そこでイカルス号事件の取り調べするも、その犯行時間に土佐藩の船にはアリバイがあった。
これでパークスはあっさり引き下がり、サトウは土佐に残し工作を指示したそうだ。
倒幕へ向けてのイギリスの外交は二面外交。
例えば、パークスがゆったりと幕府へ兵庫開港を迫ると、サトウは倒幕勢力にそれを妨害させ、血相を変え、武力革命ひはた。
ここでタイムアップ。
11時半にテニスへ。
12時半に吉見運動総合公園へ到着。
男子3名女子2名が参加。
気温は20度をヒット。
めっちゃ暑かった。
アップを済ませたら4ゲーム先取ノーアド調べをスタート。
乱数表の第12試合まで行った。
18時に帰宅後、洗濯物を取り込み夕食作り。
ほっけ、カレイの煮つけ、沢庵、納豆、サラダ、カブと豚肉の炒め、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
後片付けを済ませたら読書をする事に。
歩数計は17394。
充実した一日だった。