arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー799日目とTさんテニス

2024/1/28日曜日

6時半に覚醒。

布団に入ったまま読書。

 

今日からは橋本左内本を読むことに。

泣きそうになりながら読んだ。

これまで数々の幕末の本を読んできた。

誰もが橋本左内の事を若いのに弁舌が理路整然として爽やかである。

その博識さに於いては右に出る者が居ない。

師匠の緒方洪庵を始め、藤田東湖、水野忠徳等、幕末に活躍した偉人達にこのように絶賛されている。

誰もが次代の日本を背負って立つ逸材だったと、その早世を゙悼んでいる。

そう。

橋本左内は若干25歳でこの世を去っている。

安政の大獄で。

彼に関する本を読みまくる事で弔いたい。

まずは岳真也著「麒麟 橋本左内伝」

この本によると、左内は16歳で大阪の緒方洪庵主宰の適塾へ入塾。

人気塾で塾生が多く8階級の習熟度別クラスだったそうだ。

左内も勿論最下位からスタート。

が、飛び級したのもあり僅か2年でトップに昇りつめた。

この間、熊本藩の学者、横井小楠とも会っている。

そんな折、福井藩で医院を開いている父が病に倒れた。

左内は急遽帰国。

父の代わりに患者を診察。

若干18歳ながら腫瘍摘出の外科手術を行い見事成功させた。

凄ないか!

19歳の時、父が逝去。

家督を継いだ。

1854年2月、左内は藩の許可を得て江戸で蘭学を学ぶ為に福井を出立。

蘭学者坪井信良の門下となった。

が、師匠の坪井が左内は自分より優れていると判断。

杉田玄白の孫に当たる杉田成卿の塾を紹介した。

のちに左内は「西洋事情書」を著したがこの杉田成卿と横井小楠の影響が見受けられるそうだ。

左内は蘭学のみならず漢学も学んだ。

大儒として有名な塩谷宕陰を始め藤森弘庵、安井息軒、林鶴梁といった儒家に学んだそうだ。

この時まだ若干21歳よ。

そして、運命の出逢いが。

同じ福井出身の蘭方医、半井仲庵の紹介を受けて水戸藩藤田東湖と会える事に。

藤田東湖と言えば烈公こと水戸斉昭公のブレーンとして、また斉昭公を鎮められる貴重な存在としても有名。

この30歳以上年上の水戸の重鎮と初めて会って話をする事数時間。

東湖は終わり際に西郷吉之助の事を紹介した。

そして、東湖は安政の大地震で母親を背負い屋敷から避難する際大黒柱の下敷になり帰らぬ人に。

水戸藩にとっても左内にとっても日本にとっても大損失となった。

東湖と面談して程なく左内は藩から御書院番を命じられ士分に取り立てられた。

恐らく、藤田東湖の推薦があったと思われるそうだ。

この時代の人の繋がりには本当驚かされる。

身分や門戸を超えどんどん色んな人に会って話をしている。

丁度、西郷吉之助に会いに行ったところで一時中断。

 

10時半に自転車でテニスへ。

男子3名女子1名が参加。

対面でのアップを済ませたら4ゲーム先取セミアドの試合をスタート。

13時まで楽しんだ。

 

帰る途中、夫の希望で台湾ラーメン屋さんへ。

ボリュームたっぷり。

何とか完食した。

 

帰宅後、まずはお風呂。

よーく温まったら、最新情報をチェック。

すると、アメリカ🇺🇸テキサス州アボット知事が国境から大量に不法侵入する外国人対策として州兵を動員する、とあった。

それは凄い。

国の不法侵入外国人対策が手ぬるいから、と断罪。

国をどかして州がやるんよ。

更に、トラック野郎達も駆け付けている、という未確認情報も。

アメリカが凄い事になってる。

日本のテレビや新聞は報道してるのかね?

未だ、自分の周りではワクチン打ったりPCR検査受けたり、コロナが増えてきたとか、プーチンが悪いとか言ってる人が大勢いる。

馬鹿すぎてガッカリ。

メディアはちゃんと報道してくれ。

出来ないなら廃業してくれ。

どうやったらテレビと新聞しか情報源無い人にわかって貰えるのか。

 

17時半から夕食作り。

 

人参の葉スープ、カレー、チーズナン、生ハムサラダ、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

後片付けを済ませたら読書の続きをすることに。

 

テニス2時間。

サイクリング16km。

歩数計は10895。

テニスと読書が楽しかった一日だった。