2023/12/30土曜日
7時に起床し洗濯と朝食作り。
ベランダでの水やりも済ませたらおせち作り。
酢蓮を仕込んだ。
二日目の米麹を麹蓋に分けたら10時に自転車でアルペンへ。
テニスラケットのガットの張替え依頼に。
11時に到着。
そのあとビバホームに立ち寄り。
用事を済ませたら帰路に。
帰り道、家の近くのベルクスに寄ると年の瀬の買い物客で大混雑。
先に帰った夫に連絡し昼ごはんはあるもので先に食べて貰った。
13時に帰宅後、昼食の用意。
納豆と玄米ご飯、味噌汁メインでお腹を満たした。
午後は最新情報のチェックと読書。
昨日に引き続き堀田正睦本。
老中首座の堀田正睦は日米修好通商条約の内容に関して幕府諸侯に二度答申を求めた結果を携え京へ。
形式上、孝明天皇の勅許を得ようとした。
その、堀田正睦の宿舎が本能寺、というのに驚いた。
本能寺て織田信長が自刃して果てた場所やないかー。
なんて縁起の悪い。
2月9日に参内してから返書がもたらされたのは2月23日。
返書には勅許は不可、との内容が。
孝明天皇は超攘夷のお考え。
気持ちはわかる。
わいも、その後の日本が辿った道を考えれば夷狄に開国なんぞ以ての外。
外人はみんなけえれ!と言いたい。
が、当時の状況はアメリカのみならず欧米諸国が軍艦を従え暴れている状態。
しかもその軍艦にはもれなく大砲が積まれている。
大した射程距離は無いにしろ、非武装の日本にしてみれば脅威以外の何ものではない。
そこで幕府が採った策は、欧米諸国並の軍備を整えるまでの10年の間は開国し、条約も結び対応。
対抗出来る軍備が整ったら条約を変える、或いは反故にする、という現実的なものだった。
それくらい欧米諸国から、特に、アメリカから脅されていた。
が、そんな事を知らない孝明天皇は兎に角攘夷、の一点張り。
ま、天皇にしてみれば、一度開国をし侵略を許したら普通にその国の元首が命を狙われると考えるから怖いわな。
南米でもインカ帝国滅ぼされてるし。
毛唐は残虐のイメージあっただろうし。
堀田正睦は勅許を得る事無く江戸へ帰る事に。
そういえば、13世紀の元寇の時も執権北条時宗は形式上朝廷にもお伺いを立てた。
が、待てど暮らせど返事が来ない。
そうこうしているうちに元軍が襲来。
九州の御家人達で元軍を撃退してしまった。
元寇の時に既に朝廷は外敵に対し無能と評価されていた。
江戸末期に襲来した外敵、米軍に真摯に対応したのは江戸幕府。
なのに、薩長(欧米DS)の後ろ盾で突如強気になった朝廷があれよあれよと幕府を゙倒幕。
ただ倒しただけ。
その後の政策も無し。
ノープラン。
現代の野党と一緒。
あ、現代の野党は与党を倒そうともしていない、与党と同じ穴の狢。
話を戻す。
この堀田正睦に勅許を与えなかった辺りから、1333年の後醍醐天皇による建武の新政以来に天皇の存在がクローズアップされる事に。
あれよあれよと幕府を倒した経緯についても今後詳しく調べる予定。
続きはまた今度。
16時半から夕食作り。
本マグロ中トロ&赤身の刺し身、キャベツと豚の塩麹スープ、ツナコーンサラダ、油揚げと胡桃と蒟蒻入り紅白なます、チーズonクラッカー、リンゴ、ウォッカ梅酒ロック。
市場で購入したお刺し身がめちゃめちゃ美味しかった。
美味しすぎてウォッカ梅酒ロックをお替り。
年に一度の贅沢ですわ。
後片付けを済ませたら営業終了。
読書と調べ物の続きをする事に。
サイクリング17km。
歩数計は6924。
充実した一日だった。