2024/5/27月曜日
6時に起床し洗濯と朝食、昼食作り。
雨予報だったので取り敢えず買い物へ。
冷蔵庫の中はスッカラカン。
11時に帰宅後、食材を冷蔵庫に収納したら畑へ。
雨はパラパラ程度しか降らなかった。
植えたばかりの苗の箇所と種蒔きしたところへ水やり。
12時に帰宅後、昨夜以来の食事の用意。
お腹が満たされたら、午後は読書。
昨日から「増補 朝彦親王景仰録」を詠み始めた。
最初は古文が多くて読むのを止めようかと思った。
こんな感じ。

しかーし、上の文にもあるように、朝彦親王は仁孝天皇(孝明天皇と和宮の御父上)が猶子にする程英明。
ここは、全部とまではいかなくても大事な所、特に政変があった辺りは読むことに。
それは、p.31からの大西源一氏による「維新囘天の宏謨と久邇宮朝彦親王」という部分に書かれていた。
まずは、安政の大獄。
孝明天皇のアドバイザー的存在でもあった朝彦親王は当時、青蓮院宮と呼ばれ多くの志士と交流を持ち、御所内に居てなかなか外部の情報が入って来ない孝明天皇へ情報提供していた。
幕府の老中首座の堀田正睦が川路聖謨と岩瀬忠震の2名の俊英と共に上洛した際も、川路の奈良奉行時代に交流があった青蓮院宮は川路と面会。
日米修好通商条約の勅許に関してはけんもほろろな対応だったが、将軍継嗣問題に関しては関心を寄せた。
川路の説得に耳を傾け、一橋慶喜を推す事に賛同した。
その川路は青蓮院宮に関してその英邁ぶりを日記に書き留めている。

が、その後、水戸へ下された密勅が切欠で安政の大獄がスタート。
断罪の矛先は京の公卿にも及び、青蓮院宮へも向いた。
この2名からは何の自白も得られなかった為、側仕えの侍女も召し捕り拷問。
それでも何も出てこなかった。

が、宮は壬生寺に謹慎処分に。

孝明天皇は片腕をもがれた状況に。
程なく、桜田門外の変が起き、宮は謹慎が解かれ自由の身に。
再び、孝明天皇と蜜月関係になった。
今日はここまで。
17時半から夕食作り。

タコミート、レタスとトマトとキュウリ、フラワートルティーヤ、ウォッカ梅酒ロック、細切りチーズ、パクチー、昨日の残りのスープ。
良く呑み良く食べた。
野菜が美味しかった。
お皿は長男が洗ってくれた。
ありがたく読書と調べ物をする事に。
歩数計は8223。
充実した一日だった。