7時過ぎに起床し洗濯。
雨模様なのでベランダガーデニングの水やりは無し。
早速、おせち料理作り。
海老のうま煮、がめ煮と煮物を仕込んだら米麹作り。
一昨日から発酵器で培養している米麹は9時に出麹。
11時から圧力鍋で蒸した米はパイレン布に広げたら40度まで下がるのを待って種麹を混ぜ込む作業。
今年は年末年始関係無く、米麹作り。
その合間におせち料理の松風焼きをオーブンに仕込み、牛蒡の豚肉巻きをフライパンで焼いた。
12時に昨夜以来の食事。
納豆ご飯と昨日のスープメインでお腹を満たした。
午後は鏡餅用のもち米をホームベーカリーにセット。
その間に出来上がったおせち料理を重箱に詰める作業。
詰め終わったら、次は、お雑煮用の汁作り。
今年はがめ煮で余った汁を再利用した
ここまでやったらクタクタ。
時刻は15時。
休憩を兼ね入浴する事に。
よーく温まったら最新情報のチェックと読書。
昨日に引き続き堀田正睦本。
老中首座の堀田正睦公が天皇から勅許を得ようと京都に滞在すること一ヶ月以上。
老中首座て今で言う内閣総理大臣みたいなポジション。
そのお方が日本国内とはいえ一ヶ月以上も江戸を留守にするとか。
当時、江戸ではアメリカ使節ハリスと日米修好通商条約締結寸前、という重大局面を考えるとあり得ない、とも思う。
が、それは同時に朝廷にとっても重大局面。
何で政治を担当する幕府は夷狄の外人共を追い返してくれないんだか、と考えている。
朝廷は、諸侯に二度諮問した結果と共に勅許を願い出た堀田正睦に対し揉めに揉めた。
その結果、勅許の不許可と別紙で許可の2つの相異なる結果をもたらした。
朝廷では当時、勅許の権限を持つ者として関白と太閤が存在。
関白は不許可、太閤は許可、と意見が割れた為、そのように返答した。
しかも、諸侯にもう一度、つまり三度目の諮問をしてから出直すように、との意見付きで。
堀田正睦にしてみれば2週間以上待たされた挙げ句にこれである。
朝廷からの使者である伝奏にこんな内容では請書は出せないと返答。
伝奏は堀田正睦にこれから再評議するので請書を提出して欲しいと請われやむなく応じた。
本当はハリスとの条約調印予定日である3月5日までに江戸に戻りたかったが京都で返書を゙待つうちに、気がつくと3月16日になっていた。
しかも、この日に勅許を得られるはずが前夜に88家の公卿達によるクーデーターみたいな事が起きた。
関白は前日に評議で勅許を決定し翌日堀田正睦に渡すだけの状態だった。
それを一夜にして関白以外の全員が反対に回り関白の屋敷に押しかけて抗議した為、翌日の評議で撤回を余儀なくされた。
公卿達はほぼ全員が条約調印に反対に署名。
けれど政治を司っているのは幕府。
その幕府に対して朝廷が吼えた。
普通なら承久の乱再びか!?て大騒ぎになるわな。
それにしても何で朝廷はこんなに勢いづいたのか。
調べる必要はあるな。
17時から夕食作り。
海老と南瓜と椎茸の天ぷら、蕎麦&ネギ&トロロ、マグロの中トロ&赤身、ブロッコリーとゆで卵のサラダ、昼の残りの白菜とほうれん草と厚揚げの中華炒め、ウォッカ梅酒ロック、玄米ご飯。
夫は喜んで蕎麦をズルズル。
蕎麦360gの8割方を夫が食べた。
自分は昨日に引き続きお刺し身に夢中。
年に一度の贅沢を味わった。
後片付けを済ませたら営業終了。
今年初めて作ったさつまいも麹をデザートにお茶。
砂糖を使っていないのにめちゃ甘い。
これも我が家の定番おせちに認定やな。
でもって、寝そべりながらこれ編集している間も下から腹に向かってビリビリ電磁波攻撃。
CIAまだまだ元気一杯。
来年もやる気満々よ。
歩数計は7750。
充実した1年だった。