2023/12/29金曜日
5時半に起床し洗濯と朝食作り。
ベランダでの水やりも済ませたら7時に大宮市場へ。
年の瀬の買い物をしに行くことに。
車で行くと大変な事になるので自転車で。
一緒に行くことになっていた長女は忘年会で呑みすぎて二日酔いでパス。
夫と2人で向かった。
7時半に到着。
年越し蕎麦やマグロのお刺し身、鮭、蟹、海老、数の子等を手際よく購入。
8時半には市場を出て帰路に。
9時に帰宅。
夫は早速、ビールを開けていた。
自分は食材を冷蔵庫や冷凍庫に収納したら早速おせち料理作り。
数の子の塩抜きに始まり、栗きんとん用のさつまいもを焼き始めた。
そして、10時半からは味噌作り用の米麹作り。
これに関しては年末年始関係無く暫くの間延々と作り続ける予定。
12時に昨夜以来の食事。
お腹が満たされたら、栗きんとん用のさつまいもを潰す作業。
そして、米麹とぬるま湯を混ぜたらヨーグルトメーカーへセット。
さつまいも麹を作る事に。
14時から休息。
夫がスーパーで鮭の白子を買ってきて、茹でて料理してくれた。
折角なので昼間からウォッカ梅酒ロック。
ポン酢と刻みネギで美味しく頂いた。
ほろ酔いで最新情報をチェック。
引き続き読書。
昨日に引き続き堀田正睦本。
遂に幕府を代表し岩瀬忠震と井上清直がアメリカ使節ハリスと日米修好通商条約に向けて条約を詰める交渉に入った。
ハリスは言うことを聞かないとアロー号事件みたいになるぞ、早く締結しないと英仏が艦隊引き連れてやってくるぞ、と脅しかけながら要求をのませようとする。
更に、一度決まった事を蒸し返したり、都合が悪くなると違う話題に変えたり、時には突如キレたり。
ロシアのプチャーチンと日露和親条約の交渉を経験したこともある岩瀬忠震は、人物の程度の悪さに辟易。
このお役目を下りる、と言い出した事もあったそうだ。
この交渉のやり取りに関しては毎回書記が全て記録。
堀田正睦も毎回目を通し指示を出している。
その記録によると、岩瀬忠震は交渉しながらもハリスの論法の矛盾点を突き、譲れない事は理路整然と突っ撥ねている。
ハリスは元商人らしく数多く開港すればその分儲かりますよ、だからどんどん開港しましょう、と8箇所の港の開港を迫った。
が、岩瀬はまずは2,3港の開港で良い。
いきなりどかんと開港したら日本中が大騒ぎになるやもしれぬ。
最初は日本の人々に貿易とはどんなものなのかを少しずつ見せるだけでよい。
ハリスは大統領の国書を盾に貿易は利益になる、と強調するのに対し岩瀬は日本は人心の折合というものを主としている、と反論。
確かに、開国して間もないのにそこらじゅうに外人が出没したら大騒ぎになるしトラブルも発生する。
この交渉の全権を任されたもう一人の井上清直がハリスの迫力に押されタジタジとなっても岩瀬忠震は負けなかったそうだ。
こんな優秀な人が1858年にこの条約に調印後、僅か1年後の1859年に永年蟄居を命じられた。
優秀な日本人は消されるのな。
16時半から夕食作り。
ジャーマンポテト、大根と昆布の塩麹スープ、温野菜サラダ、サルサとトルティーヤチップス、わかめサラダ、リンゴ。
昼間に呑んだので晩酌は無し。
野菜メインで爽やかに食べた。
後片付け後、数の子の漬け汁作り。
数の子を漬けてから寝ることに。
歩数計は9789。
充実した一日だった。