arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1216日目と畑と「パラケルススの世界」⑦

2025/1/10金曜日

5時半に起床し長女の朝食と次男のおにぎり作り。

8時過ぎに長女を駅まで送迎。

自宅に車を置いたらそのまま畑へ。

 

ネギが黄変。

玉ネギは順調。

だが、先日の蟻の巣穴みたいな盛り上がりが気になったので念の為に酢を振り掛けた。

お正月のおせちの酢ばすとなますを漬けた酢。

捨てようと思ったが黒酢や自家製味醂を使用した高級品なので畑に還す事に。

蓮根と大根のエキスたっぷりよ。

 

9時過ぎに畑からスーパーへ。

10時半に帰宅後、最新情報をチェック。

からの、読書。

 

昨日に引き続き種村季弘著「パラケルススの世界」

 

アグリッパはシュポンハイム修道院長のトリテミウスを通してパラケルススと交錯したのでは、と思われる。
アグリッパは1510年にトリテミウスを訪れ謦咳に接した。

1503年頃、少年パラケルススがトリテミウスの教えを受けたとすれば、アグリッパとパラケルススの世界解釈に於ける親近性の謎は解ける。

しかも、この仮定は両者がトリテミウスを越えて12世紀の修道女ビンゲンのヒルデガルトに繋がる。
何故ならシュポンハイム修道院ヒルデガルトのベネディクト派修道会のあったビンゲンと程遠からぬ地に位置し、トリテミウスはヒルデガルトの著作を修道院に保存されていた手稿から知っていたばかりか、彼女の業績から多くのものを継承した、と考えられているからである。
1098年、ラインの富裕な貴族ヒルデベルトの一門に生まれたヒルデガルトは8歳でディジボーデンブルクのベネディクト派修道院へ送られた。
18歳で両親の寄進になる彼女自身の女子修道院をビンゲンに興し82歳で見罷るまで近隣の農民達の医療や貧困救済にあたった。
ウィキでは少し経歴が異なる。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3

 


ヒルデガルトは幻視術で高名。
が、実践家としても有名で、例えば本草学に於ける彼女の知識水準は抜きん出ており、歯痛の鎮静に同時代人がバビロニアの呪文を唱えていた時、彼女はニガヨモギやクマツヅラやアロヤやミルラによる口内洗滌を実践。

また、料理術にも優れ彼女の著作の中には頻繁に料理や食べ物の比喩が登場。

彼女が属していたベネディクト教団の開祖ヌルシアのベネディクトは529年にモンテ・カシノに修道院を開山して以来、オリエントーエジプトーシリアの古代僧団の精神を最も忠実にキリスト教的中世に移植。

ヒルデガルトにオリエントの古代女呪医の隔世遺伝現象が見いだされても不思議ではない。
アグリッパとパラケルススからトリテミウス、ビンゲンの聖女ヒルデガルト、ヌルシアのベネディクトへと遡り、古代オリエントーエジプトーシリアの密儀に繋がった。
この本はここまで。
他の本の返却期限が迫っているので次を読むことに。

今日はここまで。

「ビンゲンの聖女ヒルデガルト」を知れた事は良かった。

薬草や料理に詳しいとかすばら自然医学の走りや。

12時半に昨夜以来の食事。

夫には福岡の長浜ラーメンを調理。

喜んで食べていた。

午後も読書と調べ物。

17時から夕食の用意。


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チーズ、チヂミのようなもの、カボチャサラダ、コンソメスープ、ウォッカ梅酒ロック。

家にお好み焼き粉が余っていたのでレシピ検索をするとチヂミレシピが出てきたのでトライ。

見た目はいまいちだがカリカリに焼けて美味しかった。

あと、厚揚げの肉はさみ焼きと海苔つくねも調理。

老夫婦2人なのでこれで十分だった。

後片付けを済ませたら営業終了。

読書をしてから寝ることに。

 

歩数計は6836。

充実した一日だった。