arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1208日目とパラケルスス⑩

2025/1/2木曜日

6時に覚醒し最新情報をさーっとチェック。

その後、読書と調べ物。

昨日に引き続き大橋博司著「パラケルススの生涯と思想」

 

まずは、昨日の捕捉。

フッガー財閥はやがてグアヤック樹を諦めて水銀の専売を行うことになった。


「知識の空しさーザンクト・ガレンからアッペンツェル地方へー」
スイスのザンクト・ガレン市にはパラケルススのウィーン時代の師であるヴァディアヌス(ヨアヒム・フォン・ワット)がいた。彼はウィーン大学で古典語の教授、学長まで務め同時に医学も学び1517年に学位を得ている。

1518年に故郷のザンクト・ガレンに帰郷。

1526年に同市の市長に。

スイスの宗教改革家ツヴィングリの友人だが人文主義者として分派主義には反対で迫害から逃れた者に避難所を与え保護を与えた。

パラケルススは自分を保護し彼の著作の出版を援助してくれる事を期待した。

38歳を迎えようとしたパラケルススは既に「パラグラーヌム」を完成させ前著「ヴォルーメン・パラミールム」に続くものとして「オープス・パラミールム」をも書き上げた。

この三つの「パラ」を接頭語にもつ三大著作こそ彼の代表作であろう。
ザンクト・ガレンに於いてパラケルススは彼の患者の親戚にあたる化学者バルトロミウ・ショービンガーを知る。

2人は宗教改革派によって解放された僧院の中に化学の実験室を設けて実験を始めた。パラケルススはこの時「昼も夜も働き私の「パラミール」を書き学生達に医学を教えた」と記している。
ザンクト・ガレン年代記者リューティナーもこの時のパラケルススの勉強ぶりを次のように証言。

「彼は極めて勤勉で殆ど眠らない。彼は決して衣服を脱ごうとはせず長靴と拍車を着けたままでベッドに身を投げ出し3時間程休むとまた起き上がって書き続ける」こうきて「オープス・パラミールム」は1530年に完成。

その草稿は市長ヴァディアヌスに献呈された。
ヴァディアヌスは教養人で政治家なのでパラケルススの献呈を表面的には快く受け入れた。←嫌な予感。
しかし、それだけだった。ヴァディアヌスはこのいかがわしい粗野で大言壮語の好きな医師を全く認めて居なかった。←キタコレ。
彼と協同で実験を始めたショービンガーもそう。←キターーーー。多分親戚の患者も工作員やな。この程度の仕込みはお茶の子さいさい。


ショービンガーは友人に宛てた手紙でパラケルススの事を酷く書いた。

↑当時SNSなど無いからフェイクニュースを拡散させるのは大変。プライベートな手紙を大量印刷してばらまく事も出来んだろうし。だから、本の中で公開してばらまいた。


パラケルススは著書「オープス・パラミールム」に於いて有名な三原質を挙げている。
①「硫黄」 ガス状の燃焼性原質を表し精神力、エネルギーの原理
②「水銀」  液状の原質を表し知性の力を示す
③「塩」  固形の原質であり物質の力でもある
この三つの原質乃至経過を通じ人間もまた自然の一部となる。
また、この著書に次いで彼が書いている「眼に見えない病について」という著書は従来の医学書には見られなかった興味ある問題を扱っている。
この本は心理学的、精神医学的、特に宗教心理学的見地から見てパイオニア的役割を果たす。

初期のものとしては「十一の論題」や「ヴォルーメン・パラミールム」にも精神障害が論じられバーゼル時代に書いた「人間から理性を奪う病」についての著作もある。「癲癇」についての諸作も1530年乃至31年に書かれている。

「理性を奪う病」や「眼に見えぬ病」に見られる聖ファイト舞踊病の記述は特に重要。

パラケルススの精神医学的記載は心理学的概念が殆ど存在しなかった頃の模索であるにも拘わらず極めて正確で新鮮な記述に充ちている。
パラケルスス悪魔くんが人間に憑依する現象等にも気づいていたのかも。

 

「パラミールム」の出版はとうとう出来なかった。

1531年に彼の手による、彗星、地震、虹などの天然現象についての解説が三冊の著書となって出版出来たのは幸い。

これらの自然現象は黙示録的な意味で世界没落の予兆と見られた。←成る程、奴らの恐怖煽りに役立った、と。

ちなみに彼が目撃した彗星は1682年にイギリスの天文学者ハレーが観測したハレー彗星だったらしい。
↑何だ、パラケルスス彗星になってたかも、なんだね。


1532年、バーゼルからの便りでエコランパディウスとツヴィングリが死亡。

カトリック派はスイス各地で勢力を盛り返し大修道院長は再び修道院を支配することに。

パラケルススは危険を感じザンクト・ガレンをあとに。

その際、パラケルススは彼の草稿を修道院長に献呈。

約400年間ザンクト・ガレン修道院に埋もれた。

ここから2年間の消息は知れず。

その間に発見された警察記録によると彼はプロシアに追放されたそうだ。

その後、アッペンツェル地方の田舎に引きこもったそうだ。

今日はここまで。

彼の有能さに恐れを成した勢力が彼に地位や名声を築かせまいと尽力している様子が窺える。

そして、何度裏切られ傷つけられても自身の道を行くパラケルススはカッコいい。

これだけ迫害されても数多くの著書と功績を遺している。

彼のウィキでは彼が魔術師とか悪魔使いとか書いてあった。

が、彼自身が話したように精霊の存在を認識していたが故の行動を取っていたからなのでは?と推測。

精霊の存在を認識していたら、精神病についても色々と解るのだと思う。

 

10時に買い物へ。

11時に帰宅後、昨夜以来の食事の用意。

そろそろおせち料理だけだと飽きるのでシチューとガーリックトーストも作った。

ついでにおやつのリンゴの皮ケーキと療養中の次男の為にフルーツゼリー作り。

 

午後も読書と調べ物。

からの寝落ち。

 

17時半から夕食作り。

マグロのマリネサラダ、ライスパティ、チーズonクラッカー、昼の残りのシチュー、おせちの残り、リンゴの皮ケーキ、ウォッカ梅酒ロック。

良く飲み良く食べた。

後片付けを済ませたら読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は4841。

充実した一日だった。