2025/1/9木曜日
6時に起床し長女の朝食と次男のおにぎり作り。
洗濯とベランダガーデニングの水やりを済ませたら9時に図書館へ。
本を返却したら自転車で岩槻へ。
嫁の両親が来訪するのでそのお土産と孫の誕生日プレゼントを買いに。
夫が車を使用するので自転車で行く事に。
まずは元荒川沿いのサイクリングロードへ。
風も無く快適なサイクリングだった。
買い物ミッションを済ませ、12時に帰宅後、昨夜以来の食事。
お腹が満たされたら昨日に引き続き種村季弘著「パラケルススの世界」
ツェングに次いでイドリアとパラケルススの関係に側面照射を当てたラヴォスラウ・グレジンガー教授はその論文「ヘルメス・トリスメギストスーイドリスーイドリア」の中で興味深い報告を提出。
パラケルススは梅毒の水銀療法に関連して度々イドリア水銀鉱山訪問の際の自己の経験を記録。
その地名表記はHidria 若しくはNidria。
イドリアは水(hydor)乃至水銀(hydrarggroo)を意味するHydriaを語源としている。
イドリアの水銀は11世紀初頭から採掘されているからこの地名の語源は水銀であるとされていた。
が、ここで異説が。
水銀が錬金術のシンボリズムに於いて錬金術の始祖ヘルメース・トリスメギストスと同一視されてきた。
冥界とこの世の間を速い逃げ足で自在に往還する事の出来るギリシャ神ヘルメスは、固体にも液体にも気体にも容易に変化する水銀とそっくり。
7世紀後半にシリアのネストリウス教徒からギリシャ錬金術を学んだアラビア人達はヘルメスをコーランに二度登場する彼らの伝説上の人物「イドリス」と同一視。
古代アラビアの著作家達はイドリスを聖書のエノクと同一視。
錬金術の洗礼を受けてからイドリスはヘルメス・トリスメギストスとも合体した。
ヘルメスーイドリス同体説がアラビア人の著作に登場するのは11世紀後半(サイド・アルーアンダルシの著書)からの事。
この信仰は16世紀まで続いた。
14世紀イスラームの大旅行家イブン・バトゥータにとってヘルメースーイドリスこそはあらゆる学問と知識の祖。
エジプトのピラミッドの建設者。
グレジンガーの示唆するようにイドリアの地名において錬金術の祖ヘルメースと聖書のエノクとコーランのイドリスの三位一体が実現されているとすれば、イドリア水銀鉱山開山者はアレキサンドリア錬金術を中世の間久しくイスラームの衣の下に継承し続けていたアラビア人であった事になる。
開山のほぼ1世紀後(1153年)にイドリスと紛らわしいイブン・イドリーシーがツェングに上陸。
偶然と言うには余りにも辻褄が合いすぎていはしまいか。
以上の地名考証から古代の知を総合したアレキサンドリア錬金術を継いだイスラーム文化のアドリア海に於ける受容点はイストリア半島。
ここから騎馬で一日のフィラッハが早くからアレキサンドリアとイスラームの錬金術の洗礼を受けていたとしてもおかしくない。
パラケルススが記した「この国ケルンテンの年代記並びに起源」に言うところの「キリスト生誕以前に集めて読まれた頗る古いドイツの書物」とはアラビア人の鉱山技術者がもたらした知識の翻訳であろう。
オーストリア大公領であったフィラッハは古代地中海の知やイスラームやビザンチニズムからなる多層的な地下鉱脈を孕む多彩な異種文化の交点だった。
このあと、魔術の話になり、自分は苦手とするので飛ばし読み。
ふと、気になったのは、アグリッパの考え、として紹介されていた記述。
怨みを呑みながら殺された人間の魂は諦めが悪い。
彼は失われた肉体への執着から一種の人造人間を作りさえする。
↑悪魔くんもそうなのか?
悪さをしながらわいに何かを訴えている?
何かを気づかせようとしている?
わいに近い誰かなのか?
そのうち調べる。
17時から夕食作り。

豚の味噌漬け、卵焼き、ソーセージ、じゃがいも、カボチャ、けんちん汁、ツナサラダ、長芋と明太子、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
お皿は長男が洗ってくれた。
ありがたく読書と調べ物をする事に。
サイクリング17km。
歩数計は6134。
充実した一日だった。