arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1019日目と畑

2024/6/27木曜日

4時に起床し朝食と昼食作り。

ベランダガーデニングの水やりを済ませたら6時に畑へ。

 

大根を収穫。

持参した苗を植え付け、水遣りをしようとしたら用水に水が無かった。

田んぼの中干しが始まったらしい。

一度家に帰りタンクに水を入れカートに載せて徒歩で出直し。

8時に作業終了後、帰宅。

洗濯をしシャワーを浴び図書館で予約した資料を受け取ったら自分の時間。

 

11時半まで読書を楽しんだ。

12時に昨夜以来の食事。

夫にはきしめんを茹で昨日の牛すじ煮込みに大根おろしを混ぜておろしうどんに。

喜んで食べていた。

 

午後も読書。

昨日から川上隆志著「江戸の金山奉行 大久保長安の謎」を読んでいる。

 

この方、能楽師の家系に生まれたあと甲斐の武田信玄に能力を見出され与力として召し抱えられた。

最初、土屋姓を賜り、武田氏滅亡後、徳川家康に認められると家康の重臣大久保忠隣から大久保姓を賜った。

自身も秦氏の出と言っていたそうだが、秦氏と言えば4世紀に朝鮮半島東南部から一族で移住した職能集団。

特に機織り技術を伝えた事で知られる。

聖徳太子のブレーンとしても活躍した。

聖徳太子の死後、蘇我氏によって山背大兄王一族が滅亡させられたあと歴史舞台から姿を消す。

が、能楽師観阿弥世阿弥として再び世に踊り出た。

大久保長安世阿弥の娘婿の金春流の出。

家康に召し抱えられたあと、特に鉱山奉行で結果を出した。

武田の甲斐の鉱山で南蛮技術のアマルガム技法を習得し産出量を増やし、その技術を家康時代にも石見や佐渡鉱山で生かし収益を挙げた。

石見奉行や佐渡奉行として現地に赴く際は能楽師や遊女を大勢引き連れドンチャン騒ぎをしながら向かったそうだ。

女人禁制だった鉱山に大勢の遊女を連れていき〇〇千軒と言われる程の集落を形成した、とも。

更に、現地の鉱山の街で能楽師による舞台を興行。

佐渡は有数の能楽の街となった。

さて、先述の南蛮技術の「アマルガム技法」だが、長安がどこで学んだのか。

本でははっきりとは書いていない。

が、長安キリシタンだったのでは?と残された墓を根拠に述べていた。

更に、山師や鉱夫は諸国を自由に遍歴出来る特権を持っている。

鉱山は一種の治外法権の場。

神父達は鉱夫に身を窶し布教して廻っていた。

石見にも佐渡にもキリシタンの墓地あり。

自分は4世紀に渡来し帰化した秦氏をどうのこうの言うつもりは無い。

日本に機織りや養蚕等高度な技術を齎し恩恵に預かっている。

が、問題は、大久保長安が鉱山に能楽師や遊女を大勢連れて行って、治外法権の鉱山内でキリスト教神父と何をやっていたか、である。

恐らく悪い事やっていた。

だから、その死後、家康が長安の葬儀の中止命令を出し、家宅捜索。

不正に得ていた蓄財等を発見し一族郎党斬首の上改易、という厳罰に処した。

この背景には、一説には、異国船の中で家康の子、忠輝を首魁に数人の大名が署名した徳川家転覆の書状が見つかったから、とも言われている。

忠輝の正室伊達政宗の娘。

伊達政宗はスペインに家臣の支倉常長を派遣している。

で、大久保長安はその金銭的支援をしていた、と。

真相は明らかになっていない。

が、家康がそれを見抜き禍根を断ったのは英断。

厳罰も頷ける。

鉱山てろくでもないな。

鉱石取る為に坑道と言うトンネル掘るし、奴らDSはトンネルがだーいすき♥

むしろ、トンネル無いと生きていけない。

だって、悪い事したら隠れられるやん!

 

17時から夕食作り。

青椒肉絲、蜆と茄子の味噌汁、青海苔紫蘇納豆、長芋明太子紫蘇、青海苔紫蘇豆腐奴、朝の残り、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

お皿を洗ったら営業終了。

読書の続きをする事に。

 

歩数計は8087。

充実した一日だった。