2024/6/2日曜日
4時半に起床し洗濯と朝食、昼食作り。
6時に畑へ。
昨日レタスの苗を植えたばかりのマルチ穴にまーた緑の液体。

ワケギのマルチ穴にも。

そして、ペンでマークした部分にも。


雨が沢山降ったせいで苔が生えたんだよ、と言いたいのかもしれないが自分は騙されない。
作物に力を与える為に薄めた木酢液を掛けてあげた。
7時にスーパーへ買い物に。
帰宅後、ジャージに着替えたら9時にご近所テニスへ。
男子4名女子3名が参加。
アップ後、4ゲーム先取の試合を12時まで楽しんだ。
帰宅後、まずはシャワー。
湿度が高かったので大汗を掻いた。
12時45分に昨夜以来の食事。
ヤロー共にはそばめしを調理。
自分はご飯と味噌汁と納豆メインでお腹を満たしたら午後は読書。
昨日に引き続き「新編 物語藩史第四巻」
今泉省三著「長岡藩」を読んだ。
長岡藩と言えば真っ先に思い至るのが豪傑河井継之助。
この方のリーダーシップは素晴らしい。
長岡城を巡る戦いでも見事な戦いっぷりを示した。
そして、長岡藩も洪水と大火に苛まれた歴史があった。


余談になるが、読み進めていて気になる記述があった。
「2月末か3月に会津藩、桑名藩、唐津藩、東北諸藩が江戸の大槌屋に集まって今後の方針を相談。河井継之助は単独で自らの藩境を守ると辞去。」のくだりだ。

え?唐津藩?
行ったこともあるけど。
調べると、幕末の老中小笠原長行の藩だった。
恐らく、譜代大名でもあるし、長行が幕府の要職の老中に就任していた、というのもあったのかも。
が、地元の九州では薩摩と長州に挟撃されれば一溜まりもない。
藩主長国は早々と恭順。
長行は旧幕府軍に従軍するというので長国は養子の長行を義絶。
長行はその後、箱館戦争まで従軍している。
唐津藩二代藩主長泰の末子で義弟の小笠原胖之助も帯同。
そこで銃弾を浴び刀傷多数の壮絶な戦死を遂げた。
享年16歳。
哀悼。
http://www.yoyokaku.com/sub7-46.htm
18時から夕食の用意。

豆乳中華鍋、つけ麺、ウォッカ梅酒ロック。
花椒の効いた中華鍋で温まった。
つけ麺は3食茹でたがあっという間に売り切れた。
お皿は長男が洗ってくれた。
ありがたく読書の続きをする事に。
歩数計は12884。
充実した一日だった。