2024/1/20土曜日
5時半に起床。
発酵器内の結露を拭いたら出麹。
洗濯物を干したら7時半にテニスへ。
いつもは行きは夫が運転したい、と言って運転するのに何故か運転して、と言われた。
いつものように助手席だったらスマホで最新情報をチェックする予定だった。
それを阻止された。
8時半に吉見総合運動公園へ到着。
男子3名女子1名が参加。
対面でのアップを済ませたら4ゲーム先取セミアドの試合をスタート。
ジャンケンの勝敗からゲームカウント、ボールの落ちる場所までコントロールされ、つまんねーと思いながらもテニスという運動を楽しんだ。
12時半に解散後、鴻巣市内で昼食を食べて帰る事に。
安曇野名物のお煮かけそばを注文。
アッツアツで具沢山の汁が冷えた体に沁みる程美味しかった。
14時に帰宅後、まずは着替え。
お風呂を溜めている間に洗濯物を取り込み。
お汁粉も美味しく頂いた。
午後は読書。
川路本は読み終えたので岩瀬忠震本を読むことに。
この方、800石の岩瀬家へ養子に入ったが元々は設楽貞丈の三男。
そして、母は昌平黌学問所校長林述斎の娘。
男子の居ない岩瀬家の養子となるも家禄が800石ゆえ役職に付けないでいた。
が、その優秀さは聞こえ老中首座の阿部正弘の抜擢により養父を乗り越え1000石で召し抱えられた。
幕府の不文律で父の俸禄を越えてはならぬという掟を破ってまでの抜擢は、当時の国難(黒船の来航)に対処する人材難がもたらした。
幕閣は家康公以来の祖法である鎖国を守りたい。
その気持ちはわかる。
わいも同じ気持ちや。
が、現に江戸前には大砲の照準を江戸の街に向けた軍艦を何隻も従えたペリーがおるんよ。
で、イギリスはアロー号事件やらアヘン戦争やら武力で中国を侵略。
それに便乗してフランスも。
当時、幕府にそれらの国に対抗しうる大砲や軍艦は無い。
いくら刀や槍術に優れていても砲弾の前には叶わない。
恐らく老中首座の阿部正弘も、それを継承した堀田正睦も日米修好通商条約の締結は止むを得ない、と覚悟していたと思われる。
かくなる上は条約の内容を一つ一つ詰め、できるだけ対等となるよう交渉する事が肝要とし、岩瀬忠震や井上清直といった俊秀な人材が抜擢された、と推察。
幕府は勝手に江戸に来航したペリーにも、下田に住み着いたハリスにも毅然と対応。
流石幕府!ですわ。
17時から夕食作り。
玄米ご飯、ほうれん草の黒ごま和え、きんぴらごぼう、大根サラダ、ポテトサラダ、ほうれん草のお浸し、ピカタ、汁、納豆、麻婆豆腐、べったら漬 ウォッカ梅酒ロック。
残り物オンパレードメニューに。
良く呑み良く食べた。
お皿を洗ったら営業終了。
歩数計は16.393。
読書をしてから寝ることに。