arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー722日目とご近所テニス

5時半に起床し洗濯と昼の親子丼と豚汁作り。

ベランダの゙鉢植えは土が湿っていたので水やりはお休み。

9時過ぎにご近所テニスへ。

 

男子3名女子5名が参加。

厚い雲に覆われ寒空の゙下でのテニスとなった。

昨日よりも気温が低い。

一試合待っている間に手がかじかんだ。

 

12時45分に帰宅。

まずは汗だくのジャージを着替え。

そして食事の用意。

豚汁で温まった。

 

午後は読書。

昨日から「マッハの恐怖 続」を読みながら、1972年6月14日にニューデリー国際空港の゙手前23kmで起きた日航機墜落事故について調べている。

その法廷ではフライトレコーダー、ボイスレコーダー、管制塔との通信記録テープ、全てが公開されたそうだ。

それらによると、事故機はILS(計器着陸装置)による誘導で着陸態勢に。

当時、視界は黄砂により1,700mと良くなかった。

ボイスレコーダーによると機長が滑走路が無いことに気付いたのは墜落5秒前だったそう。

日航から派遣された調査官は、その際搭乗した派遣機の機長からニューデリー空港のILSの様子が変だったと報告を受け、他の航空会社にも同様の経験をしたパイロットが居ないか聞いたそうだ。

そうしたなか、7/5にニューデリー空港に到着した日航機453便の機長もILSの異変を報告。

結果、事故機が墜落した30分後にニューデリー空港に着陸したインディアン航空440便の副操縦士を始め、5/20(事故の前月)に着陸したパンアメリカン航空02便の副操縦士も法廷でILSの異変を証言。

更に、6/15(事故の翌朝)クウェート航空380便の機長は「参考にしていたILSは着陸後も『降下せよ』の指示を出していた」と証言。

ニューデリー空港のILSの不安定さを示すかのように8/11にインディアン航空440便がILS進入中、外側無線標識(アウターマーカー)と中間無線標識(ミドルマーカー)の間に墜落。

8/28の日本航空454便の機長も進入中異常な『降下せよ』信号を受けた、と報告。

日航ニューデリー空港についてILS進入を禁止する措置を取ったそうだ。

ちなみにニューデリー国際空港の1972年当時のILSはアメリカ製。

以上、気になった点を抜粋した。

 

17時から夕食作り。

鰯ヒジキハンバーグ、牛蒡と蓮根の甘辛煮、モズクツナサラダ、昼の残りの親子丼と豚汁、ウォッカ梅酒ロック。

 

良く呑んで良く食べた。

後片付けを済ませたら営業終了。

読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は13412。

テニスが楽しかった一日だった。