6時に起床し洗濯と朝食作り。
7時半に畑へ。
昨日と反対側の1/3の部分の穴掘り。
夫は昨日、午後も畑に出向き、穴掘り。
既に1/3の穴掘りが成されていた。
残りの2/3の穴掘りをスタート。
8時半からは夫も参加。
9時に穴掘りが終了。
そこへ先日抜いた雑草を次々と投入。
その上へ土を被せたら苦土石灰も投入。
更に土を被せたら作業完了。
9時半に畑を後に。
スーパーへ買い物に。
11時に帰宅後、シャワー&食事の用意。
12時に昨夜以来の食事。
2人でモリモリ食べた。
午後は読書&調べ物。
1952年に起きたもく星号墜落事故について調べた。
この飛行機に搭乗の゙乗客に女性は唯一人。
宝石デザイナーの小原院さん、という方。
小原院さんの遺体の周囲には宝石が沢山落ちていたそうだ。
この事故も、当初、情報が錯綜。
墜落地点は静岡県浜松市沖と報道され、乗客が複数救出された、という情報もあったそうだ。
結局、事故現場は伊豆大島。
乗員乗客37名は全員死亡。
小原院さんが所持していたはずの大ぶりのダイヤ等は発見に至らなかったそうだ。
現場に最初に駆け付けた報道記者は、そこに2名の外国人を視認。
写真に捉えた。
うち1名は軍人の服装。
記者は彼らから「Get out!(出ていけ!)」と追い払われたそうだ。
ここまで読むと、日航機123便事件との共通点が浮かび上がってくる。
墜落地点が二転三転したり、現場入りを許されず待機を命じられたり。
先程の゙宝石デザイナーの小原院陽子さんの事が気になり、色々検索。
すると、彼女は大安組の安藤明組長の娘である、という情報が。
安藤明て誰?
調べると、厚木事件に関係していた。
その数日前から日本軍の零戦パイロットの小薗大佐を中心に最後まで徹底抗戦を主張。
厚木基地の゙滑走路に壊れた飛行機等を敷き詰めた。
が、そんな事をしたらマッカーサー元帥の日本に対する心象が悪くなる。
事態を収拾しようと佐藤大佐が相談したのが大安組の゙安藤明組長。
安藤茂右衛門春勝から9代目なのだそう。
めっちゃ由緒あるやん!
飛行場に所狭しと置かれた飛行機等を撤去する大仕事を引き受けた。
それにとどまらず、GHQへの接待も引き受け、昭和の鹿鳴館と言われた大安ハウスで私財を投げ打っておもてなしをした。
天皇陛下を助ける為に。
彼の尽力により昭和天皇は死刑を免れた。
が、功労者安藤明はGHQへの収賄容疑で逮捕され拷問まで受けた。
半年後、釈放されたが会社は倒産。
家屋敷も借金のかたに。
その後、起こした事業はうまく行かず困窮の中、病に倒れ61歳の若さで逝去。
息子さんによる著書の中で安藤明組長の長女の出生に関しても記述があったが昭和17年(1942年)生、とあった。
1952年のもく星号の事件当時は10歳。
だから小原院さんとは別人。
更に小原院さんについて調べると、松本清張氏の゙小説で取り上げられていた。
それによると、ドイツ人の父親と日本人の母親とのハーフで英語とドイツ語に堪能。
宝石デザイナー、というよりダイヤモンドを売り捌いていたそうだ。
そんな戦後の焼け野原状態の中、ダイヤの商売?と疑問に思ったが、日本政府は戦時中、日本国民からダイヤモンドを接収していたそうだ。
緊急事態条項が発令されると財産没収される、というあれに似てますわ。
で、何故か小原院さんは日銀に保管され、のちに進駐軍に没収されたダイヤモンドの一部で商売していた、と書かれていた。
元々、日本国民から取り上げたダイヤで商売ですか。
きな臭いですわ。
と、まあ、もく星号墜落事件から始まって色んな事が出てきましたわ。
もう少し調べてみる事に。
17時から夕食作り。
カブと挽き肉の中華炒め、人参サラダ、鯖と冬瓜の味噌煮、茹で白菜、昼の残りの味噌汁、ゴボウの゙煮物、柿、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑んで良く食べた。
後片付けを済ませたら、読書と調べ物の続きをすることに。
歩数計は8652。
充実した一日だった。