2024/12/30月曜日
6時に覚醒。
最新情報をサーッとチェックしたら朝読書。
昨日に引き続き大橋博司著「パラケルススの生涯と思想」
p.36では「インゴールシュタットの奇蹟」が紹介されていた。
ザルツブルクを退去したテオフラストゥスが最初に訪れたのはドナウ河畔の大学都市インゴールシュタット。
年代記によると、名医テオフラストゥスがインゴールシュタットで当市の市会議員の娘を治療した顛末が精しく記されている。
この少女は生まれつき身体が麻痺。
医師達からその治癒は絶望視されていた。彼はこの少女を診察した上で彼女の「生命の精気」が欠乏していると告げ、妙薬アゾートを調合し、彼女を眠らせ多量の発汗をさせた。
当時の習慣に従って彼は患者の家族達と食事を共にしていた。
その時奇蹟が。
「皆が食堂で食卓についている間に突然扉が開かれ足萎えの少女が歩いて入ったきた。彼女はパラケルススの足下に身を投げて眼に涙を湛え彼の驚嘆すべき治療に感謝を捧げた」と記しているのはこの事件後、百数十年経って書かれたある錬金術年鑑の筆者である。
パラケルスス伝説にはこのような奇蹟的治療の話が少なくない。
次にスイスに入った彼は辺境伯フィリップ1世に診療を請われ、彼の侍医達によって悪化させられていた奇病から彼を救った。
侍医達はガレノス以来の伝統に従って「反対のものには反対のを」の原理で下痢には下痢止めで対処していた。←現代も下痢には下痢止め処方されてないか?
パラケルススは下剤をかけて毒性を浄化。あとは患者の生命力ー彼がアルケウスと名付けたものーを十分に働かせることにあった。
このような方法はかなりの時間と忍耐を要求される。
妥協を知らぬパラケルススの態度が侍医団と衝突。
彼らの面目を失墜させ憤激を掻き立てた。侍医団はパラケルススが自分達の推した薬を横取りしたと中傷。
パラケルススは辺境伯が約束した報酬を得られないまま退去を余儀無くされた。
上記の二つのエピソードで気になった点は二つ。
一つはパラケルススが携帯していたと言われている「霊薬アゾート」の中身。
何なんだろう?
調べたら出てくるだろうか。
もう一つはパラケルススが下痢症状に対し下剤を処方した点。
これまでは病院で「下痢してます」て言ったら「下痢止め」処方されてたような気がする。
コロナ前の自分なら「下痢してます」て言って「じゃ、下剤出しときます」て言われたら「は?」てなったと思う。
が、今は、解毒でウンコおしっこどんどん出す派だから、「下剤カモーン!」てなる。
下痢は体が体の中の悪い物を一生懸命排出しようと頑張っている事の現れ。
とっとと追い出さないと相当ヤバいて事。
咳もそう。
苦しいけど、どんどん出さなアカン!で体が頑張っとるんよ。
それをせき止めの薬で止めたらダメなんよ。
どんどん咳をして体の中の悪い物、出さないと。
パラケルススの本、めっちゃ学ぶ事多いのだが。
が、7時からは台所へ。
お節料理の下ごしらえをしないと、だ。
あと、洗濯やベランダガーデニングの水やりも。
昼食用のけんちん汁を煮ながらお節3品を仕込んだ。
12時に昨夜以来の食事。
ホームベーカリーで搗いたお餅でお供え餅を作り、その残りをけんちん汁に入れて出した。
昆布巻き用の早煮昆布で取った濃厚な昆布出汁で作ったけんちん汁は贅沢な一品に。
夫に絶賛された。
何せ、調味料は昆布出汁のみ。
舞茸もいい匂いを提供。
2人で食べまくった。
午後はおやつのクッキー作りをしながら肉3品を調理。
豚の昆布巻きと牛肉の牛蒡巻き、鶏モモ肉の八幡巻きを調理。
その合間には夫が味噌ラーメンのスープを仕込んだ。
夫がケーキ以外で料理をするのはいつぶりだろう?
その割りには手際良く仕上げていた。
17時過ぎに長男一家が到来。
そこから夫はラーメンの仕上げへ。
17時半に夕食。

お節の半端部分、なめ茸コーンサラダ、鮭、けんちん汁、昨日の残りのラザニア、バターナッツスープ、クッキー。
皆が着席したあと、ラーメンが着丼。

手前味噌を使ったラーメンは濃厚な味がしてとっても美味しかった。
全員がスープを飲み干していた。
お皿は長男が洗ってくれた。
そして、19時過ぎに三重へと旅立った。
お孫ちゃん達と暫しお別れ。
そのあとも、明日のお節作りの下調べと準備。
やることやったら、読書と調べ物をすることに。
歩数計は8806。
充実した一日だった。