2024/10/8火曜日
6:45に起床し長女の朝食とお弁当のおかず作り。
8時半に長女を送るついでにスーパーで買い物。
帰宅後、読書。
昨日に引き続き田端泰子著「細川ガラシャ」
明智光秀には京中支配の(村井貞勝)支援と近江南部、特に比叡山の本拠地の坂本を任せ、細川藤孝には京都西郊を任せるという支配体制が完成していた。
織田家臣の中でも新参者の光秀と藤孝だが京都周辺を任される程に重用されている。
その、京都の人脈を生かして、だと思うが、細川忠興は昔、蜀の国から日本にもたらされた3巻の錦の内の一巻を京の町で探し求め信長に進上。信長はこの貴重な「唐錦」を見て目を驚かして褒めお返しに柿一折を送った。信長は天正9年2月の馬揃えにはこれを小袖に仕立て着用した。
細川家に輿入れした玉子は容色ことに麗しく、糸竹呂律の翫びも妙であったので舅藤孝にとって一入最愛の嫁であった。
清原枝賢は儒家でありながらキリシタンに入信。その次女いとも「12、3歳の頃、捨て子養育会を手助けした」と言われていることから(片岡留美子『キリシタン時代の女子修道会』)キリスト教の教えに子供の頃から親しんでいたであろうと推測される。
秀吉は「ポルトガル人、シャム人、カンボジア人が多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し奴隷として彼らの諸国へ連行している事を知っている、とし、続けて、バテレンはインド、その他遠隔地に売られていった全ての日本人再び日本に連れ戻すよう取り計らわれよ。もしそれが遠隔の地ゆえに不可能であれば少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。予はそれに、費やした銀子を支払うであろう」と述べた。
これ、ホントなら秀吉て凄いね。
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書。
17時半から夕食作り。
19時に昨夜以来の食事。
白菜ともやしとひき肉の中華炒め、ホッケ、焼き芋、さつま揚げ、サラダ、豚汁、玄米ご飯、ウォッカ梅酒ロック。
お皿は夫が洗ってくれた。
このあとも読書をする事に。
歩数計は3802。
充実した一日だった。