arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1121日目と畑と細川ガラシャ②

2024/10/7月曜日

5時半に起床し長女の朝食とお弁当のおかず作り。

6時半に畑へ。

まずはベランダで育てている苗を次々と移植。

苗ちゃん達にお水をあげ、他の作物にも水遣りとチェック。

すると、大根の畝は両脇から緑色の液体を撒かれていた。

そしてほうれん草の畝も。緑色の液体が増し増しされていた。

全ての作物ににがりをプレゼントしたら帰路に。

 

帰宅後、シャワーと2回分の洗濯。

昨日干した洗濯物で乾いていないのもある。

干場はケイオスに。

10時から最新情報をチェック。

そして、11時から読書。

 

今日は田端泰子著「散りぬべき時知りてこそ 細川ガラシャ

 

光秀が細川藤孝と共に信長に仕えているのがはっきりとわかるのは永禄11年(1568年)永禄八年の変から3年後。足利義昭が信長を頼って朝倉氏支配下の越前から美濃の岐阜城に移った際に両人が尽力。

 

この義昭の岐阜転居の際に光秀は信長家臣として「奏者」を務めた。翌12年には光秀は明確に信長の軍議に参加。この軍議は木下藤吉郎丹羽長秀明智光秀の3名が中心。

光秀娘達の嫁ぎ先

明智光春(秀満)妻 荒木村次から離縁され再嫁

明智光忠

・織田信澄妻

細川忠興

細川忠興「光春(秀満)は塗師の中でも五器塗師の子であるが稀に見る才能の持ち主である。」

時は下剋上の時代。

前半生不明な人は少なくなかった。

 

昼に昨夜以来の食事。

夫と美味しく頂いた。

午後も読書していた。

が、じゃがいもの植え付けを思い立ち畑へ。

今日持参できなかった他の苗も植えた。

緑色の液体が朝から増量されていた。

大根に至っては畝の両脇から。

じわじわ殺す作戦な。

取り敢えず証拠写真は集めとく事に。

 

夕方、読書をしていると強烈な寒い寒い電磁波攻撃からの熱い熱い電磁波攻撃。

わいに発熱をさせたいらしい。

寒気が凄かったので真冬モードに総着替え。

すると、今度は熱い熱い攻撃で嫌がらせ。

まーた、総着替え。

56歳おばさんによる生着替えが見たかったらしい。

17時半から夕食作り。

長芋納豆、玉ねぎとわかめのコーンサラダ、キャベツと鶏モモとエノキの煮浸し、ウォッカ梅酒ロック。

体が熱くて食欲ないのでウォッカ梅酒ロックのみ頂いた。

キンキンに冷えてて美味しかった。

電磁波攻撃で体がダルいので今日は寝ることに。

 

歩数計は8981。

充実した一日だった。