2024/8/9金曜日
3時半に起床し朝食作り。
5時15分に畑へ。
冬瓜とバターナッツの花が競演。
綺麗な模様の蝶々も居た。
水遣りを済ませたら6時15分に畑をあとに。
帰宅後シャワーと洗濯。
ベランダガーデニングの水遣りも済ませたら読書。
異なる視点での伝記を読みたいのでなるべく複数の本を借りて読む事にしている。
そして、立花宗茂に関する本なのに、やはり父の高橋紹運のくだりで感動を覚える。
紹運は「武士は義の為に死ぬのが本懐である」と言い切った。
目先の利益だけを求めてあっちにつきこっちにつきという見苦しい様を見せた挙げ句、思い出の深い北九州の地を捨てて薩摩の島津軍に加わった諸大名・士豪達に対する深い憤りの表明でもあった。
薩摩軍は五万の大軍で500に満たない岩屋城を蹴散らしたあと、宗茂の弟、統増の守る宝満城に矛先を向けた。
薩摩藩からの申入れは「城を開けば高橋統増夫婦並びにその母は立花城へ送り届け場内の一般人の生命は助ける」
が、開城後、薩摩軍は3名を引っ捕らえ肥後国へ移送。
監禁した。
薩摩軍:騙される方が悪い。
宝満城を難なく開城させた薩摩藩は「西の大友」最後の砦、立花城へ。
薩摩軍は立花城への攻撃に際し降伏を勧める使者を派遣。
薩摩藩からの使者は、最後にあくまで籠城する、というなら弟の統増夫婦と母の宋雲尼の命はない、と脅した。
その上で自身の意見を述べた。
宗茂「私が何故この城に残るかと言えば既に岩屋城に於いて父が壮烈な死を遂げたにも拘わらずその弔い合戦もせず、おめおめと城を明け渡す事は出来ぬからだ。また、我々は今迄一貫して主人である大友家の為に尽くしてきた。最後の段階に至って裏切る訳には行かぬ。義を貫きたい。そうすれば我々の死は我が父高橋紹運と同じ様に義死となる。弟夫婦と母の事は言ってみれば縄目の恥を受けたという事。その恥を晴らさないでおめおめと城を開ける訳には行かぬ」
今日はここまで。
10時過ぎに買い物へ。
12時過ぎに帰宅後、昨夜以来の食事。
お腹が満たされたら13時から読書。
17時半から夕食作り。
ピザ、サラダ、かぼちゃスープ、茹でトウモロコシ、ウォッカ梅酒ロック。
長女と長男は呑み会で不在。
次男はバイト。
夫は喜んでピザを独り占めしていた。
お皿を洗ったら営業終了。
歩数計は10175。
充実した一日だった。