2024/8/7水曜日
3時に起床し朝食作り。
4時45分に畑へ。
水遣りをしているとバターナッツの花が開花しているのを発見。

冬瓜は相変わらず百花繚乱。

6時45分に畑を後に。
帰宅後、シャワー&洗濯。
ベランダでの水遣りを済ませたら、買い物へ。
10時に帰宅後、読書と調べ物。
戦国武将の立花宗茂公に関する本を数冊借りた。
まずは、原田種眞著「立花宗茂 乱世をゆく鎮西の勇将」
この方、福岡県の岩屋城城主高橋紹運の長男として生まれた。
幼少より跡取りとして、傅役足立弥平次に指導を受けた。
弥平次は弓の達人として弓術も教えたが、領内の様々な所へ連れて行き領民とも交流を持たせた。
そのせいか、15歳で元服したあとに立花城城主立花道雪の養子になるべく岩屋城を出立する際、大勢の領民がお見送りしたそうだ。
が、子は娘の誾千代ただ一人。
やむを得ず、誾千代を女城主にしていた。
宗茂はそこへ婿として迎えられた。
時は戦国時代。
九州地方は大友氏の他に龍造寺氏や島津氏がしのぎを削り争っていた。
大友氏は日向で島津氏と戦い二万の兵を失い数多くの「豊後後家」を生み出した。
その後、博多の櫛田宮近くの大友氏の探題館に島津の将、川上左京亮が攻めてきた。
そして、今日一番感動したのは5万の島津軍が立花城、岩屋城、宝満城を攻めてきた時。
島津軍は豊臣秀吉が九州平定に来る前に九州を制覇したかったようだ。
快進撃で筑紫までやってきた。
そこへまず立ちはだかったのが宗茂の実父高橋紹運が居城の岩屋城。
島津軍の総帥島津忠長は何度も降伏を促す使者を送った。
が、紹運は頑として受け入れず。
やむを得ず岩屋城に籠城する高橋紹運軍と戦う事に。
この時、島津軍が本陣を観世音寺に布いた、という記述に、観世音寺て聞いたことあるな、と思った。
あれや、天武天皇が父親の為に開基した寺。
通説では観世音寺は天智天皇が母親の斉明天皇の菩提を弔う為に建てた事になっている。
が、昨日衝撃を受けた佃収氏による「天武天皇と観世音寺」という論文によると、観世音寺は九州に政権があった天武天皇が創建したんだそう。
https://acrobat.adobe.com/id/urn:aaid:sc:AP:6ff39572-2433-43b8-9fcc-f9c7ab5b2677
天武天皇九州政権説は余りに衝撃的過ぎて現在保留中。
しかし、とっても気になるので毎日少しずつ調べて裏取中。
ちょいと脱線したところで今日はここまで。
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書。
雷鳴轟く中19時半に夕食。
夫と長女は呑み会で不在。
夕食は残り物で済ませたので画像無し。
お皿を洗ったら営業終了。
歩数計は8947。
充実した一日だった。