arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1039日目と畑と持統天皇

2024/7/17水曜日

4時に起床し朝食と昼食作り。

5時に畑へ。

 

今朝は家を出る前にウンコをさせてくれた。

わいは玄米と米麹を常食するようになってから、基本、朝起きてすぐ出る習慣になったんよ。

それをDSの奴らがわいの腸をコントロールして動かすようになった。

昨日なんて、畑で作業中に肛門のすぐ手前で止めたんよ。

悪趣味で悪い奴らだよ。

しかーし、今日は指向性浣腸エネルギー攻撃は無し。

どういう風の吹き回し?

わいの昨日の発信の何が効いたのか。

あれか?

5G?

ま、兎に角、畑の作業の邪魔をしないでくれ。

 

今日はトウモロコシの収穫とにがり水の振り掛け。

雨のおかげか作物達はすくすくと成長。

6時半に帰路に。

帰宅後、シャワー&洗濯。

そして、洗濯物を干すついでにベランダガーデニングの水遣り。

更に、ドレッシング作り。

その間にトウモロコシの皮むきと茹で作業。

茹でた後。

めっちゃ虫にやられている。

多分カメムシ

アワノメイガ被害は無さそう。

何せ、アワノメイガを警戒し、毎日唐辛子とドクダミ漬けの木酢液や竹酢液を掛けていた。

ドクダミが一杯咲いている頃は摘みたてをぶら下げたりしていた。

最後の方はローテーションににがり水を加え振り掛けてきた。

アワノメイガ被害は抑えられた。

が、カメムシ対策は次回への課題となった。

何せ相手は虫のリーダー、悪魔くん

去年は枝豆にハンミョウの一団を連れてきた。

ある時は蜂に、そしてある時はカナブンに憑依し襲いかかってくる。

蛙やダンゴムシの時もある。

そして、人間の時も。

毎日、何処にも行かなくてもイベント盛り沢山ですわ。

 

9時から読書&調べ物。

昨日から関裕二著「謀略の女帝 持統天皇」を読んでいる。

 

冒頭の出雲王朝や九州王朝に関しては自分の考えと違う。

そこは置いといて、読み進めた。

聖徳太子蘇我入鹿説も自分は異なる考え。

が、藤原不比等持統天皇、そして、天智天皇中臣鎌足がタッグを組み色々と謀略を巡らせた事には同意。

更に、藤原四兄弟長屋王を嵌めた事も。

そして、中臣鎌足百済王族出身な事にも同意。

藤原氏の権力への固執は異常さを感じる。

大和民族から見ると。

藤原氏が数千年に渡り色々悪い事やってるのは数々の歴史書に書かれている。

が、現在の法律に照らし合わせても時効が成立している案件が多いので特に糾弾するつもりは無い。

ただ、いくら覆い隠そうとしても、ボロは出て来る。

今日、自分も初めて知ったのは、「長屋親王、、、、」と書かれた木簡が発掘された事。

これは、長屋王が、天皇の子供である事を示す。

つまり、父親の高市皇子高市天皇だったと言う事。

高市天皇に関しては、柿本人麻呂による歌があるそうだからそれも見てみようと思う。

もうね、この天武朝は大友皇子の即位も隠している。

弘文天皇として即位してるんよ。

で、大海人皇子天皇に対して挙兵し政権を簒奪した軍事政権だったわけ。

大海人皇子は母は皇極天皇だけれど、父は高向王とも言われた蘇我入鹿

そして、蘇我氏新羅からの帰化人。

入鹿の祖父の馬子が推古天皇と懇ろになって蝦夷田目皇子)が生まれた辺りから暴走。

蛙の子は蛙じゃないけれど、蝦夷用明天皇の死後、聖徳太子の母の穴穂部間人皇后と再婚したり、入鹿は宝皇女を先に孕ませて子を設けてから宝皇女を舒明天皇に娶せ自分の子の漢皇子(大海人皇子)を天皇にしようとした。

蘇我氏は大和政権に於いては、皇后になる女性が重要で主導権を握る、と知っていた。

だから、天皇の后を次々寝取っていた。

入鹿の宝皇女に至っては青田買い。

后になる前やから。

大海人皇子額田王もそう。

少女のうちに唾付けとる。

あ、額田王とは古人大兄皇子の娘の倭姫の事な。

同一人物。

後に、天智天皇の皇后となる人な。

偉大な万葉歌人でもある。

歌のスケールが人並み外れている。

そして、神の声を聞く巫女でもあった女性だ。

で、天武天皇の皇后だった持統天皇は嫉妬にかられ倭姫皇后=額田王という事実を隠してしまった、と。

この著書によると、持統天皇は吉野に何度も行幸

そこで呪術に嵌まっていたそうだ。

最初の師は中臣鎌足

その後は藤原不比等

持統天皇は自身の息子草壁皇子を帝位に就けたい。

不比等天皇外戚になりたい。

が、当時は皇族でないと皇后になれなかった。

そこで、取引をしたのでは、とも言われている。

その証拠に持統天皇以降、聖武天皇に繋げる為に元明、元正と女帝の即位が続きまくっている。

そんな中で長屋王の悲劇が起こった。

何せ、長屋王自身は天皇の皇子。

そして、妻は天皇の皇女。

その間に産まれたサラブレッドな3皇子は両親と共に自害した。

ちなみに長屋王の妻の藤原長娥子所生の皇子達は死を免れました、とさ。

1295年も経ってるから時効成立な。

この事件後、藤原四兄弟がバタバタと流行病で斃れたのは有名な話。

 

12時に昨夜以来の食事。

午後も読書&調べ物。

 

蓑輪諒著「うつろ屋軍師」を読み始めた。

戦国武将丹羽長秀の家臣江口三郎右衛門正吉が主人公。

 

織田信長と二重に婚姻を結ぶ程見込まれた丹羽長秀について知りたいと思った。

まだ50ページしか読んでないが、その人格の高潔さが現れるエピソードが早くも出てきた。

長秀は戦のあと、正吉に「今から兵達にこのお金を配るのを手伝ってくれ」と言った。

戦国時代の当時、兵への褒美は後日。

なので、戦場で戦死した者の金品、特に刀等、を奪う事は禁じる武将が多いものの黙認されていた。

が、長秀は、遺体からの略奪行為を止めさせる抑止力としてお金を即金で払う事にした。

まぁ、もし自分や親族がそれやられたら嫌だわな。

それにしても、お金てそんなに流通してたのな。

戦国時代に。

 

17時から夕食作り。

ニラ奴、鶏ももとナスのバルサミコ酢炒め、大根汁、玄米ご飯、サラダ、枝豆、トウモロコシ、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

お皿を洗ったら営業終了。

読書をしてから寝ることに。

 

歩数計は7079。

充実した一日だった。