2024/5/8水曜日
5時半に起床し洗濯と昼食作り。
朝の家事を済ませたら8時45分に畑へ。
ビーツの収穫をしてみることに。
株の直径が5cmになったら収穫時なのだそう。
葉が大きい物の株元を少し掘ってから採寸。
5cn以上あったので2株だけ抜くことに。
夫が喜んで収穫していた。
畑での作業が終わったら、買い物へ。
ついでに見沼代用水沿いのサイクリングロードをサイクリング。
11時に帰宅後、昼まで読書。
12時に昨夜以来の食事。
ヤロー共には焼きそばを製作。
自分は玄米ご飯と納豆メインでお腹を満たした。
午後は読書と調べ物。
昨日に引き続き「京都守護職始末1」
驚いた事に、江戸で陽動作戦をやる前に京都で攪擾騒動を起こしていた。
しかも残忍な。
まず、大阪で池内大学が殺され、その首が難波橋に梟首された。
更に、左右の耳が切り落とされ、京都の三条実美卿と中山忠能卿の邸に投げ込まれた。
更に、賀川肇が子供の眼前で首と両手を斬られた。
最後に、足利三代木像梟首事件。
それにしても、首切ったり耳切ったり、身体切り刻むの大好きやな。
尚、大和民族には人を斬首したり耳をそいだりする文化は無い。
これらの事件は全て幕府を煽り、困らせるのが目的。
が、市中の人々にとっては恐怖以外のなにものではない。
かくして、新撰組が結成された。
江戸では庄内藩+新徴組が、京都では会津藩+新撰組が市中取締役として活躍した。
また、学習院の建物を宿舎としていた会津藩士用の宿舎を建てる話が出た際にこんな出来事も起きた。
長門藩が木首事件の犯人を赦しては、と伝奏役に意見。
一時は「それもそうよの」と赦免されそうになった。
捕縛に関わった会津藩士達40余名は激怒。
伝奏役公卿の屋敷へ大挙して詰め掛けた。
そして、藩士達は三条西卿や姉小路卿、壬生卿、中山卿等に書面を呈し兇暴の輩を赦免しないよう嘆願した。
長くなったので今日はここまで。
倒幕派のメンバーが「事を起こしたくて」あれこれ煽っているのが手に取るようにわかる。
知ることができてよかった。
17時から夕食作り。
ビーツ根菜サラダ、鮭のアラ粕味噌汁、チーズ&ナッツ、残り物の鶏南蛮、チョコブラウニー。
ウォッカ梅酒ロックと共に美味しく頂いた。
採れたてのビーツが美味しかった。
歩数計は8182。
充実した一日だった。