2024/5/7火曜日
5時半に起床し朝食と昼食作り。
雨がポツポツ降っていたので洗濯はお休み。
そして、8時過ぎに長女を駅まで送迎する前にフットサルのお休み連絡が来た。
送迎のついでに買い物も済ませる事に。
このゴールデンウィークは長女以外は全員在宅だったので3食作りまくった。
冷蔵庫の中はスッカラカン。
補充すべく食材をゲットしまくり、買い物を終えて帰ると11時。
帰ってからも肉や魚の仕分けや下漬け作業。
そのまま食事の用意に突入。
12時に昨夜以来の食事。
食べたあとも、おやつ用の草餅の材料の準備。
ホームベーカリーにセットしたら漸く読書の時間。
今日は山川浩著「京都守護職始末1旧会津藩老臣の手記」を読み始めた。
この方は、会津戦争でお城に入りたくても薩長軍に囲まれ入れないで居たところ、地域の獅子舞踊りを先頭に堂々と入場する、という奇策を企画実行した人。
ウィキに渾名は「知恵山川」とあった。
「老臣」て書いてあるけど画像をチェックするとめっちゃイケメン。
浩氏はこの本の草稿の段階で結核に倒れたが東大学長を長年務めた弟の健次郎氏が完成させたそうだ。
実に理路整然としていて読み易い。
幕末に何が起きていたのか時系列でわかりやすい。
何故、寺田屋事件が起こったのかも理解した。
久光公は奏上文では「人心一和」を強調している。
上の寺田屋事件の説明も久光公の考えがわかりやすい。
以上2点を踏まえても、名君斉彬公の考えを継承しているように思える。
で、明治新政府樹立後は不遇だった事を考えると久光公も被害者だったのかも。
そして、容保公が孝明天皇より宸翰を賜るの記述が何箇所にもあったで。
一度や二度じゃない。
三度も賜っとる。
↑①文久3年(1863年)10月9日、宸翰と御製二首を賜る。
↑↓②元治元年2月16日に再び宸翰を賜る。
↓文久3年1月に初参内。
4月に2度目の参内。
これよりしばしば参内。
孝明天皇と容保公はめっちゃ仲良し。
更に「しばしば親王、摂関、公卿の間を来往」とある。
恐らく睦仁親王の御尊顔をご存知。
なので、のちのちすり替わった明治天皇には絶対に会わせられない。
だから、徹底的に抹殺されたか。
めっちゃ引用しまくって申し訳ない。
この本、買いますんで許して。
歴史的資料としても素晴らしい!
だって、この本の内容読んだら、幕府や会津藩が官賊とか思わないですもん。
17時から夕食作り。
鮭の塩麹漬け、ポークビーンズ、しじみの中華スープ、もやしとニラと春雨のナムル、ニンニクなめ茸サラダ。
ウォッカ梅酒ロックと一緒に美味しく頂いた。
お皿は長男が洗ってくれた。
ありがたく読書と調べ物をすることに。
歩数計は6982。
充実した一日だった。